字書きを名乗るようになってもうじき5年が経つんですが、そういえば自作の単語帳を更新しなくなったなぁと思いまして。
事の発端はEvernoteくんの従業員解雇のニュースです。
あそこに初期の執筆データ(主にアマサリ)が残ってるので、サ終前するに別のクラウドへ保存しようか、あるいはいっそお蔵入りさせてしまおうか、考えるために読み返していました。
5年前の私は生まれたての子鹿でした。
右も左もわからず、けれど周囲は天敵だらけで、いつ10という字書きが淘汰されるか震える日々でした。
早い話が、活動を始めたジャンルがあまりにもデカ過ぎたんですよ。
めまぐるしく更新される支部……
1万字超えなんて当たり前だし、上手い人と下手な人とで反応の差も歴然。
数日浦島太郎してただけです~ぐにpv数を抜かれ――
いつの間にか固定の派閥(のようなもの)が生まれ、私はそのどこにも属せない始末……
それでも書き続けなければ、なるべく短スパンで更新し続けなければ、すぐに私という存在が消えてしまう気がする。
そんな強迫観念に駆られながら、今の倍以上の速度で執筆してました。
何なら一時は毎日更新とかしてた。
質より量!!
こんな感じ。
自分事ながら、正直イカれてたなぁと思います。
当時の私、好むヘキが他と違うのに、どっかの派閥へ入れてもらおうとしてたんですよ。
いっちょ前に需要なんか気にしたりして。
めんどくさい奴が過ぎませんかね?
早い話が、不特定多数に縋って承認欲求を満たすことで、自我を維持しようとしてたんですよ。
周囲に認められたくて色んな小説を読み漁り、知らない単語を調べてメモり、それを自分の執筆に使うを繰り返し――
結果、今のような文体ができあがりました。
Evernoteに残る過去の文章たちを読み返すと、まぁ~~~~恥ずかしいの何のって。
どう考えても付け焼き刃で生兵法な表現の連続に、太宰治の名著〝人間失格〟の有名な一節が脳裏を過ります……
てか、こんなことを書いてる時点で学んでねぇんだよ。
ワードの気持ちよさだけで使おうとするな(自戒)
そんな黒歴史に想いを馳せながら、ふと他人の作品から文を学ぼうとしなくなったのはいつからだろう?って思ったんですよ。
Nolaに乗り換えた時点では既にやめてた気がする。
同じコンテンツを長く続けていくためには、インプットとアウトプットのバランスが大切らしいんです。
インプットだけでは脳味噌が目詰まりみたいな状態になってしんどくなるし。
アウトプットだけではいずれ知識のストックが枯渇してしまう。
だからn番煎じみたいな表現をしてしまうし、同じ単語を多用してしまう。
新しいネタを仕入れてもさ、ある程度言葉の引出しがないと鮮やかな描写って難しいじゃんね。
多少の経験がついて、理論もなんとなく頭ではわかってきても、アウトプットしたら全然身についてないんだよ。
今使ってる単語も、言い回しも、正しく相手に伝わってるのかもわからない。
自分では良かれと思って綴った文が、実際の意味を知ってる人にしてみればめちゃくちゃ失礼なことが書かれてた、なんてのもザラだし。
難しいからこそ、正しい言葉を使うように気を付けないといけないなって思います。
字書きは特に。
拙かったあの頃を恥じることもあるけれど、その過去を消し去りたいとまでいかないのは、大荒れの大海に揉まれながらも我武者羅に作品を作り続けた経験が、今でも生きているからでしょうか。
当時の筆の速さこそなくなりましたが、その分波に身を任せてじっくり取り組む余裕ができました。
あと活動の原動力を他人に委ねなくなったのもデカいかな。
その上で、あの頃のように知らない単語や表現を書き留めて、自分だけの最強の単語帳をつくりながら、より鮮やかな描写ができるように精進していこうと思いました。
初心忘るべからず!!
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