日: 2022年5月26日

心の洗濯、感情消化は自分の為に泣くことでもある

初めて自分の気持ちを率直に吐露するってことをしました。
普段は心の勉強を生かして人の話を聞く役ばかりだったけど、今回は苦手な話題ということもあって、思い切って友人に話してみることにしました。

まとまりがなくてごめんね。
声が小さくてもそついててごめんね。
言葉が詰まって全然話を進められなくてごめんね。

家庭の金銭事情というかなり込み入った話題なのに、根気よく親身に聞いてくれて、本当に心が救われました。
ありがとう。

話していく内に拙くなっていったのは、きっとそれこそが私の心の底からの言葉だからなんでしょう。
溢れる涙が止まらなくて、何もかもぐちゃぐちゃで汚くなって、それを元の整然としたものに戻したくてもできなくて。

ただひたすらに泣き続けていました。

友人からの言葉にも「うん」と頷くばかり。
なのに、私の不甲斐なさを一度も責めることなく「辛かったね」と言ってくれました。

こういうことは、カウンセラーくらいにしか話してはいけないものと思っていました。
けれど世の中には、身近の親しい人に話すことで救われる人がいます。

私にそんな人はいないと思っていました。
でもそれは私の思い込みであって、本当はちゃんと近くにいたんですね。

カウンセラー以外の誰かに自分の雑然とした胸の内を打ち明けるのは生まれて初めてだったので、とても勇気が要りました。

「そんなこと私に言われても」と拒否されたら…
あるいは「大人なのにお金で親と揉めるなよ」と怒られたら…
言葉がまとまらなくて言いたいことが伝わらないかも知れない…

とても怖かったです。
怖くて何度も声をかけるのをやめようと思いました。
でも、勇気を出して本当によかった。

こんな話を聞いた友人が何と感じたのかはわかりません。
けれど少なくとも「辛い気持ちを吐き出す場所に私を選んでくれてありがとう」と言ってくれたのは事実なんです。
感謝の言葉もありません。

そしてたくさん泣かせてもらったお陰で、今後の身の振り方を見つめ直してまた再出発しようという気持ちになることができました。
本当にありがとう。

これまで無意識に目を逸らしていたこと、先延ばしにしていたことを、負担になり過ぎない範囲でひとつずつ解決させていこうと思います。

そしてコンタクトは犠牲になったのだ……