日: 2021年4月27日

泣き腫らしたあの人へ

※かなりセンシティブな内容の記事なので、少しでも苦手だと感じた方はすぐにご退出ください。

これはひとりごとですが、とある人に向けて書いています。
正直この記事を見ているのかも、そもそもこのサイトに足を運んでくださっているのかもわかりません。
初めは、私が活動したての浮かれたテンションで妙な距離の詰め方をしてしまったので、もしかしたらもう見ていないのかも知れません。
なのでこの行為は無意味かも知れません。
ですが、どうか、この記事が、その人の許に届くことを祈っております。

その人とはネット上で繋がりました。
とっても可愛くて素敵なグッズを作られる方で、時折上げられる作業進捗を拝見しては「どんなグッズになるんだろう」と、胸をときめかせていたのをよく覚えています。
そして実際に、何度か購入させていただきました。
ゆめかわいいデザインでありながらとても実用性の高いグッズだったので、今でも大切に使っています。

字書きである私にとって、イラストを描かれる方は雲の上の人のように感じます。
その中でもグッズを製作される方は「一体どんな努力をしたらそんなスキルを得られるんだろう」と、羨望の念を抱きます。
絵についてあまり詳しくないのですが、グッズ製作って普通にイラストを描くのとは勝手が違うと思うんです。
缶バッジやシールなら、その小さな面積の中で効果的に推しを配置しなきゃならない。
雑貨系のグッズなら、その雑貨と合うようなモチーフをデザインしなきゃならない。
絵柄を問わないイラストと違って、グッズはグッズに適した絵柄にしないと、ちぐはぐな印象になってしまうと思うんです。
そんな、私的に難しいと思うグッズをいくつも作られるその人は本当に凄くて、私の尊敬する人です。

その人が今、生死の境を彷徨っています。
半分比喩で半分比喩じゃありません。

辛いですよね、苦しいですよね。
たくさん泣いて、とても疲れたと思います。
頑張るのは当たり前なのに、頑張れない自分が嫌で嫌で堪らなくて、このまま消えて、死んでしまった方がいいんじゃないかと思いますよね。

私は泣く涙すら涸れました。

辛くて苦しくて、ベッドから起き上がれなくなって、何もできない自分なんざ消えてしまえと考え続けて、それなのに一滴も出ませんでした。
当時は死人のような顔をしていたことでしょう。
なにせ自分の掌にカッターを突き立ててたんですから。
胸が痛くて、思考が苦しくて、私自身の存在が憎くて、何度も切り刻みました。
切って切って切って…けれどそれで楽になったことは、一度もありませんでした。
ただ物理的な痛みが心の痛みを紛らわしてくれたように錯覚するだけでした。

こういうとき、周りにいる人全てが信用ならなくなります。
私が死んでも誰も悲しまないとか、職場に私がいると迷惑なんだとか、私がどんなに頑張っても他人からすれば十分の一にも満たない努力だとか。
挙げればキリがありません。
結局、最後に行き着く結論は「私なんか死ねばいい」なんですよね。

そこの赤信号に突っ込めば死ねるかも、って思ったことはありませんか?
駅のホームから飛び降りれば死ねるかも、って思ったこともありませんか?
切った手首をお風呂に突っ込んだらとか、すぐそこのベランダから飛び降りればとか、色々と死に方について考えませんでしたか?

私はずっと考えてました。
両親の住む実家でひとり、毎日のように考えていました。

いま振り返っても、とても辛くて苦しい記憶だなと思います。

この時期、私の周りには手を差し伸べて励ましてくれる友人はひとりもいませんでした。
ましてや、家族は誰も私の味方になりませんでした。
職場の人など以ての外です。

仕事内容はコロコロ変わり、業務量まで減らしてもらったのに最後まで続きませんでした。
いつしか会社を休みがちになって、最終的に辞めました。

それでも私は生きています。

家族には私の怠惰さを責められ、人から信用を向けられることに恐怖して友人とも縁を切り、寝室に籠もって自ら孤独となる道を選び続けて……それでも自殺を実行しませんでした。

生きたかったんです。
生きて幸せになりたかったんです。

やりたいことや好きなことを目一杯やって、頑張れなくても否定されない人生を歩きたかったんです。

あなたはどうでしょうか?

たぶん、たくさんの感情と思考がぐちゃぐちゃになって、自分のことがわからなくなっているのではないかと思います。
そして、自分のことがわからないから強烈な希死念慮に苦しんでいるのではないでしょうか。
私も経験があるので、その気持ち、とてもよくわかります。

ですが自分の中から溢れ出る感情や思考は全て自分のものです。
あなたの中から生まれたものです。
無数の衝動的な激情の中には、必ず『本当はどうなりたいか』が隠れているはずです。

「死にたい」と繰り返しながらも実行してこなかったのはどうしてですか?
私の場合、「死にたい」の底を覗いたら「幸せになりたい」でした。

そしてそれに気づいたお陰で、今現在、笑顔で生きることができています。

頑張っていないので、勤め先では未だに休みがちになりますが、それでも「生きたい」と思えています。

あなたはどうでしょうか?
少し落ち着いたときで大丈夫なので、『本当はどうなりたいか』覗いてみてください。

今までずっと頑張り続けてきたと思うので、もう頑張らなくて大丈夫です。

そして私に可能な手助けがあれば、ぜひ協力させていただければと思います。

最後に、もしまだ私の姿を見てくださっていたら、このメッセージが届くことを切に願っております。