おしらさま ※R18 - 5/5

   ◆

 その生態は、家蚕かさんと呼ばれているとある虫によく似ている。アレの場合は産卵してから十日前後で斃死するのに対し、彼は産み落とした後も暫く生きるのだが。
 中でも特徴的なのは、彼の生態が昆虫・・などという単純なカテゴリーに到底分類できないことだ。
 彼で言う幼虫期は紛うことなき人間であった。僕らと同じように歩行し、僕らと同じように言葉を話し、何なら僕らと同じように成長する。脱皮なんて一度もしたことがない。
 人間だ。人間だったのだ。
 そんな彼がある日突然失踪し、人ならざる者に変じたのはつまりそういうことだった。成虫になったことで子孫を残さなくてはならない。〝糸紡ぎの家系〟だなんて大嘘だ。家系も何も、彼は最初から糸を生産するための家畜だったのだから。

 あの日から僕は、日々腹を膨らませてゆく友人の世話にあたっていた。幼虫の頃は見るからに男性体だったはずなのに、子を宿してからというものの、その眼差しは母親そのものだ。
 彼の身体に蓄えた養分を喰らい、ぶくぶくと肥え太ってゆく腹の子。それを、彼は愛おしげに撫でさすりながら誕生の瞬間を静かに待っている。
 悍ましい光景だと思った。僕は胃が捩れるような錯覚に堪らなくなり、目を逸らす。
 彼の腹を目にする度、悪心はより顕著な嘔吐感となって身体に居座り続けた。何度、彼にバレないよう胃の中身をぶちまけたことか。しかし腹のむかつきは収まらない。当たり前だ。元凶はまだそこに居座り続けているのだから。
 それでも僕は彼の世話を続ける。引き受けると約束したのだから。食事は人間の時分と変わらないため苦労はない。が、そうすると彼の好物も変わらないことになる。
 人間であった頃の彼の名残が、中途半端に訴えてくるのだ。
 胸クソ悪いといったらありゃしない。
 彼の食事を運び込むため、洞窟を出る。あの日から僕の生活は、洞窟と村とを往復するだけに変わってしまった。村から支給される食料とデザートを受け取り、来た道を戻る。代金は不要。何故なら彼が無事に産卵することは村の繁栄に直結するからだ。率直過ぎて反吐が出る。
 食事を与えた後は彼の傍で静かに過ごす。朝も昼も夜も。何をするでもなく、すぐに触れられる距離にいながら彼の腹をなるべく視界に入れないような場所を選んでひたすら無為に過ごす。岩肌の凹凸を数えたり、ふと思い浮かんだ旋律を口遊んでみたり。退屈極まりないが、それ以外のことをする気にはどうしてもなれなかった。
 そんな僕を見ても、彼は何も言わない。定位置で静かに腹を撫でながら耳を傾けるだけ。
 嗚呼でも――僕が鼻歌を歌い出すと少々恍惚気味にセッションするような声を出すことには気付いていた。ほんの僅かだけ口角を上げて、僕が奏でる旋律にそっと花を添えるように。
 その仕草がどうしようもなく彼らしくて、胸が痛い。
 動けない彼は僕の手がなければ生きてゆけない。自ら食料を調達することも、洞窟に吹き込む風で冷えた身体を温めることもできない。お飾りの翅を戯れに震わせて、ただ鈴の転がるような愛らしい声を上げて僕を呼ぶことしかできない。それでも、言葉を失っているから意思疎通など夢のまた夢だ。
 僕の精を受けて孕んだ母であるのに果てしなく無力で、笑えぬほどに滑稽だ。
 産んで死ぬだけの家畜。
 その腹の中には、一体幾つの子供が入っている?

 彼と僕が交わって一年が経った。
 まるで人間で言う十月十日のようにゆっくりと成長を重ねた彼の腹は、見事な臨月腹となっている。
 彼は大きく育った腹が張るのか、どことなく顔色が悪かった。時折びくりと身体を跳ねさせているところを見るに、恐らく出産が目前に迫っているのだろう。
 僕は彼の傍に腰掛け、村から持ち込んだ毛布を腹に掛けて、その上から温めるように優しく擦ってやった。
「大丈夫。もうすぐだよ」
 もうすぐで終わるから。そう口にする僕の科白は誰に向けてのものなのか。
 ほんの一瞬だけ、それが解らなかった。
「――! ――!」
 毛布越しから掌に胎動を感じた。刹那、彼の身体が一層強張りがくがくと痙攣を始める。始まってしまったのだ。
 僕はすぐさま頭上の壁に打ち付けてあった楔に紐を括り付け彼に握らせる。
 情事後、正気に戻った頃には既に刺さっていたそれは、過去に村人が設置していったものだった。渾身の力で引っ張ってもびくともしない。むかつくほどに頑丈だった。
 紐を握った瞬間、彼は腹の中のものを追い出そうと必死に息んでいた。
 慌てて両脚を拡げさせて中を確認すると、頭どころかまだ出口が開ききっていなかった。
 僕は彼の耳許で声を上げる。
「早く出したいだろうけどまだ我慢してて! 少しずつ息を吐いて逃がすんだ!」
 まるで助産師だな、なんて言葉が頭を過る。
 分娩時の傾向と対策は、村に戻る度に村長からみっちり叩き込まれたものだった。それをただ完璧にこなしているだけで、驚くほどスムーズかつ想定通りに事が進む。
 反比例して、死んでゆく表情筋。
「~~~~! ~~~~~~!!」
 ぐちゅ、ちゅぷ。
 まるで膣を犯しているような音を立てて出口がみるみる広がってゆく。
 ひとつ目が勢いよく転がり出た。すると堰を切ったようにふたつ目、みっつ目と飛び出てくる。
 その度に彼は、排泄の快感からか情に塗れたような声を上げて泣き叫ぶ。ぼろぼろと、熱に浮かされたように潤んだ瞳から涙を流し、紐に縋り付いている。
 何が厭なのか、顎を突き出してはくはくと口を開閉させながら必死に首を振っていた。
 じゅう、じゅうご。
 けれども彼の女陰は無情にも産卵を休める気配はなく、厭がる表情と甘く震える腰とがあべこべになっていた。目も当てられない。
 じゅうはち――にじゅう。
 にじゅうに。
 おわった。
「……――。……」
 子供の拳大の白い球体の山が、彼の粘液を纏って山を形成している。
 それらを産み落とした肉の扉がひくひくと開閉しているのを見て、陣痛でのたうち回っていたのは嘘なのかと問いたくなった。
 卵はもう出ない。が、未だ彼の腹は膨れたまま。中で引っかかっているのだろうかと覗き込むと、不意に彼の腰が大きく跳ねた。
「――――~~~~!!」
 彼が歯を食いしばって紐を引っ張っているところを見るに大物が控えているらしい。開脚した恰好で痛々しく内腿を痙攣させて必死にひり出そうとしている。
 僕は彼の横に回り込み、酷く乱れた呼吸を整えさせてやりながら手伝ってやる。気を遣らないよう何度も声をかけて、変に力んでいればその場所を擦って――

 ――ずちゅ――びちゃん。

 これまで産み落とし続けてきたものとは比べものにならないサイズの卵が、彼の狭い隧道を押し広げて現れた。
 人間の赤子がすっぽり覆えそうな楕円のそれは、彼の足の間で一際異彩を放っている。
 明らかに、他の卵達とは違っていた。
 暫くして最後に産み落とされた卵は、他のどの卵よりも早くに孵化した。卵殻を持たないため罅は入らず、まるで羽化を彷彿とさせるように内側から身を捩って徐々に破ってゆく。
 背中が顔を出し始めた。その色は、あの頃の彼のような、人間の肌と同じ色だった。手足の形状も背中の無防備さも、全てが人間そのもの。この子がどのように生まれたのか知らなければ、僕同様人間と誤解してしまうだろう。
 けれどアレは人間じゃない。赤ん坊は、あろうことか己の手足を器用に使い、その身に纏わり付く殻を取り去ろうとしていた。人間の赤ん坊では到底不可能な動き。
 子供の全身が外界に晒されてゆくに連れて、厭でも自覚してしまう。
 記憶の水底。最も薄暗く曖昧で忘れ去ってしまった過去。
 彼との出会いの日。幼少の姿をした僕と彼。
 目の前の赤子よりはもっと大きかったけれど。
 けれども彼は――僕よりもうんと器用に糸を紡いでいた。
 顕現するソイツを見て、思い出す。
 赤子と目が合う。
 母親と同じ、銀灰に見え隠れする真紅の瞳。

 あの子供は――サリエリだ。

「おしらさまだ……!」
「……ッ!?」
 不意に背後で人の気配がして我に返る。背後からどやどやと現れたのは見知った顔ぶれで、そのどれもがどこか夢見心地な顔をして立ち尽くしていた。
 先頭の臭そうな顔には覚えがある。
 村長だ。

「おしらさまだ……」
「おしらさまが誕生しなすったぞ……」
「やった……」
「これで村は安泰だ……!」

 ざわざわと上がる歓声。
 神の誕生に沸く民衆。
 その顔には陰湿な喜悦を貼り付けて、村の存続が確たるものになったと心から安堵している。

 依代と御贄の存在など忘れて。

 行為の正当性を示すために課した役割を労うことなく、新たな家畜の誕生に浮き足立っている。
 村長が村人を引き連れて僕らの許へやってきた。
「ああ……今回もなんとお美しい姿か……。しかし母神ははがみ様よりも少しく色がすんでおられるようだ。ええ、ええ。ですからこれより貴方様のお名前は〝グリジオ〟とお呼びいたしましょう」
 意思表示の困難な赤子の都合など完全にそっちのけで捲し立ててゆく。そんな村長の科白を皮切りに、村の腰巾着共は名付けられた赤子と、その付近で山を作っていた卵を根こそぎ持ち去ってゆく。
 一仕事を終えて放心状態の僕や、出産を終えて気を失ったサリエリには一瞥もくれないまま。
 連中の見窄らしい背中が小さくなってゆく。

 洞窟の中がひゅう、と鳴いている。サリエリの捜索中に初めて訪れた際に聞いた音だ。まるで悲鳴のような、胸を刺す音だ。
 ここにはもう、何もかもなくなってしまった。
 役目を終えた彼は、白い瞼を落としてぐったりとしている。そうして何もできないまま打ち捨てられた彼は、やがて斃死する瞬間を、ただ静かに、そして孤独に甘受するのだろう。彼は誰かの手がなければ死んでしまう存在だから。
 本来なら役目を終えた僕はそのまま連中の後に続かなければならないのだろう。解ってはいたが、やはりそうする気にはなれない。
 かと言ってこのまま世話を続けて彼を生き長らえさせたとしても、きっと大差なく死ぬ。嘲笑いながら迫る死の足はとても速く、人間と同じように振り切れる確証がないのだ。
 何故なら、彼は家蚕の化身だから。

 神とは何だ。お前達が信仰している存在とは何なんだ。
 神とは何だ。これではやはり家畜も同然じゃないか。

 信仰された家畜の末路は野垂れ死ぬことらしい。それはある意味食料として育てられた牛や豚などよりもよっぽど惨い。後者は家畜が死ぬ瞬間まで丁重に扱うが、彼はそこまで考えられていない。
 嗚呼――ならば彼は、最早家畜ですらないのか。
 大切にされているはずなのに、愛玩もされず、全うした生の結末も見届けられず、役目さえ終えれば塵屑同然に捨て置かれる。
 そして無事に誕生した新たなおしらさま
・・・・・
として信仰する。
 自分達の信仰がどれほど非道か、連中はきっと知らない。
 興味もないのだろう。

 冷え切った風が再び吹き込み、洞窟が鳴く。
 ただ死ぬことしかできなくなってしまった彼に、かける言葉が見付からない。

「……さりえり」

 再会して初めて触れる彼の髪の感触は、記憶と寸分違わず柔らかいままだった。

 外の音が消える。