おしらさま ※R18 - 1/5

 ――その存在を、村は〝おしらさま〟と呼び、崇めていた。

「なんだ、今日もたかりに来たのか」
ってなんだよ。今月入ってからまだ二度目なんだけど」
 未明から明け方へ。未だ朝靄が村を包み込んでいる頃、友人が日課の薪割りをしているところへ冷やかしに訪れた僕は今、その友人――サリエリの家で朝食をご馳走になろうとしている。
「記念すべき一度目から一週間も経っていないのだがな。……まぁいい。これが済んだらすぐに取りかかる。寒いから中に入っているといい」
「はーい」
 相伴に預かるとき、彼はいつもフレンチトーストを用意してくれる。
 きつね色になったふわとろパンの上へ一口大にカットされた色とりどりの旬の果物をふんだんに盛り付けるのがサリエリ流だ。
 それがふたつ、それぞれトッピングの様相を変えて小さなダイニングテーブルの上に並ぶ。
 サリエリにはたっぷりのメープルシロップとたっぷりのパウダーシュガーが。
 僕にはシロップの代わりに少し酸味のあるローゼルジャムを散らして。
 今日の果物はイチゴとキウイだ。先に手渡されていた無糖のカフェオレを啜りながら、寒くなったもんなぁと独り言ちる。
 いつもと変わらない朝。いつもと変わらないメニュー。
「待たせたな。さあ食べよう」
 いつもと変わらない彼の声。半ば形骸化しつつあるこの遣り取りだが、不思議と色褪せるにはまだまだだ。向かい合う格好で席につき、村の神に感謝し、そして漸く食事が始まった。
 心地好い静寂の中、各々のペースでトーストを頬張ってゆく。サリエリは予め余分に焼いていた二枚目のトーストを取りに席を立つ。
 僕と同じ痩躯の癖に甘い物限定で底無しの胃を持つサリエリ。表情は至極幸せそうで、そんな彼を眺めながら温くなった残りのカフェオレをちびちびと啜る。
 そうして半ば吸い込むような勢いでおかわりも食べ切ったサリエリは、ふと思い出したように沈黙を破った。
「ところでアマデウス」
「ん?」
「祭りまでもうふた月を切ったのだが、そう言えば村長から御贄役となる者を選出しろと言われていてな」
「ミニエ?」
 なにそれ、と問う声は最後のひと口となったカフェオレと共に飲み込んだ。目をしばたく僕の表情を読み取ったサリエリは「実は……」と少し重たげに口を開く。
「祭りには神の依代となる私と、その供物である御贄が必要になる。相手は誰でもいいのだが、曰く私が直々に選出することが重要なのだそうだ」
「へえ、それは初耳だ」
「そうだろうな」
 これは私と一部の人間しか知らぬことだからな。そう答えたところで、サリエリはマグカップに口を付けた。
 少し厭な沈黙だなと思った。
「で、そんな大事そうな話をなんで僕にしたの?」
「ああそれは……」
 自分のと飲み終わった僕のマグカップとを手に、サリエリは自ら振った話題から逃げるように席を立つ。
 暫くして新しいカフェオレを注いで戻ってくると、その顔には部屋の空気同様妙な緊張が走っていた。
「まさかそのミニエ? ……ってのになってくれ~とか、そういう話?」
 サリエリの肩が震える。嗚呼やっぱりなぁ。ほんと、サリエリは隠し事が下手だよなぁ。半ば確信を持って問いかけたけれど、見事に的中したらしい。
 それはそれで複雑な気持ちになる。
 サリエリは小さく「すまない」と視線を落とした。
「謝んないでよ。それとも、そんなに面倒な役回りなの?」
「まぁ……確かに面倒ではあるが……」
「ふぅん……」
 途切れた会話を繋ぎ止めるためにマグカップを傾ける。相変わらず言いにくそうに視線を右往左往させながら、彼もまた唇を湿らせていた。
 視線を窓に移す。白んでいた景色が徐々に鮮やかな色を持ち始めていた。普段ならばとっくにお暇しているはずの時間だが、今日はもう少し長居することになりそうだ。
 とはいえ、周囲から瘋癲と言われている僕にも一応仕事はあるので、あまり悠長にはできないのだが。
「その、ミニエとやらの役割は?」
「平たく言えば依代の世話だ」
「なんだ、普段と変わんないじゃん」
 それはそうだが、と、サリエリはまたしても表情を曇らせる。
「世話してもらう場所はここではなく、おしらさまを祀った祠の中だ。雨位しか凌げない場所で、付きっきりになるんだぞ」
「でもそれを僕にしてほしくて、君はこの話を持ちかけたんだろ?」
「……ああ、そうだ……」
「なんで?」
 観念したような溜め息が聞こえた。
「他の奴に世話されたくない」
「ヒュ~♪ 随分と熱烈だねぇ」
「茶化すな!」
 御贄は重責なのだぞと言うサリエリの頬が真っ赤に上気する。昔からああいった口説き文句をさらりと吐く奴だけれど、その自覚がないというのは厄介だ。現にこうして僕が指摘しなければ、このまま話を続けていただろうに。
 本当、面白い奴。
「わかったわかった。君がここまで言うなら引き受けようじゃないか」
 そしてその甘い科白に毎度絆される僕も僕だ。全く学習しない。
「まさか……いいのか?」
 照れ隠しに投げていた謗りがピタリと止まる。おいおい、自分から振っておいて鳩がマメ鉄砲を喰らったような顔をするなよ。余程勝算がなかったと見える。
 僕は改めてサリエリの頼みを受ける旨を伝えた。
「君の世話なんて僕ぐらいしか適任はいないだろ。どんだけ甘い物を用意しなきゃならないか……ふふっ、きっと他の連中は知らないだろうね。受けて立つよ」
「アマデウス……」
 ここまで言ってやったところで漸く現実と認識したらしいサリエリは、やっとの思いで緊張を解く。大きな溜め息をひとつ吐き「別に誰かと戦う訳ではないのだがな」と零す。
「戦いみたいなもんでしょ。四六時中漂うスイーツ臭との戦い」
「それは貴様だけだ」
「いやいや! 山のような菓子がずっと目の前にあれば誰だって胸焼けするって」
「馬鹿な……!」
 漸く、普段通りの空気が戻ってきた。窓が切り取る景色は疎らながらも徐々に活気を見せ始める村の様子を映し出している。仕事には間に合いそうにないな、とか、サリエリを引き合いに出せば許してくれるだろう、とか思考を巡らせて、一瞥した先の場景に目を細めた。

 だから当時の僕はちっとも気に留めていなかった。
 ありがとうと口にするサリエリが酷く沈鬱な表情をしていたことに。
 そして――

「すまない」

 この科白が示す意味を。

 以降、サリエリは忽然と村から姿を消した。