四
この世界の住人というのは単細胞の集まりなのだろうか。思いつきで始めた要撃作戦だが、ことごとくボクのシミュレーション通りに事が進むのだ。来る敵は皆ゴブリン系のモンスターばかりで、一様に態度が大きい。覇王軍に属することは、すなわち高い社会的地位の証明に一役買っているのだろう。薄っぺらなプライドほど見苦しいものはない。吐けるだけ吐かせて全て返り討ちにしてやった。
光の粒子となって霧散した後は、決まってデュエルディスクだけが残る。ボクはこれらを屋敷の地下に運んで証拠を隠滅した。
塵も積もれば山となる。初めは他の兵士に見付かるのを避けるために始めた処理だったが、数が増えてくると、まるで屍の山を積み上げているような気分になってくる。なるべくなら、必要なとき以外は近付きたくない。
しかし亮は違うようだった。作戦を始めてしばらくもすると、どうやら寝室を抜け出して地下に出入りしているらしい。デュエルディスクの運搬はボクがしているため、亮にそういった用事は皆無なはずだった。
ならばどんな用事で通っているのか。気にならないと言えば嘘になる。だが仮に亮の目的を知ったところでボクに何ができよう。あの傍若無人な男が、一度でもボクの戒告を聞き入れたことがあっただろうか。ただでさえ仲間に関する情報がほとんど得られていない状況で、これ以上余計な徒労をしたくない。そう心に決めて詮索をやめたというのに――
やめたはずなのに、この日に至ってはどうしても気になって仕方がなかった。
始めは入眠を阻害するほどの胸のざわつきだった。自分の寝室で休息を取っていると、やけに目が冴えていることに気付く。サイドテーブルに置いた懐中時計を確認しても、示す時刻は普段の就寝時間と変わらない。いつもなら、時間になればどんな状況でも眠れるというのに、今回ばかりは真昼のときのように覚醒している。
寝返りを繰り返し、心地好い姿勢を模索しても無駄だった。むしろ却ってますます寝付けない。食料の備蓄でもあればホットミルクでも作って飲みたいところだが、この得体の知れない異世界にいる以上は不可能だった。
仕方がない。夜風にでも当たりに行くか。消去法の末に残った選択肢を掬い取って、上体を起こす。そのときだった。
くぐもったラッチの結合音。あるいはそれが分離する音。どちらにせよ、隣室のドアが動く音が聞こえて、ボクは思わず息を潜めた。隣室には亮がいる。ボクよりも就寝が遅いから十分にあり得る物音であるが、どうしてか耳介に貼り付いて離れない。
音の主はもう一度ラッチの音を響かせたあと、規則正しいリズムで床を踏んでいった。音が遠ざかり、そして下へと降りていく。
地下か、別の部屋か、あるいは外か。候補を挙げ始めたら、思考がそれに囚われた。きっと今日はもう眠れないだろう。ボクは意を決してベッドから降り立ち、亮の後をつけることにした。
階下に亮の姿はなかった。玄関は施錠されていて、外出した形跡は見られない。内側からしか鍵がかけられないからである。隣の広間も無人だ。ならば彼の行きそうな場所はあとひとつ。
広間と反対方向に伸びる廊下を進む。ここは他の廊下と比べて狭く、天井に張られた蜘蛛の巣や壁の罅割れとも相俟ってかなり暗い。窓がひとつもないため、明かりが少ないのが原因だろう。
目的の扉は廊下の突き当たりにあった。妙に緊張する掌がドアノブを捻る。ドアの向こうには、中世ヨーロッパを題材にした映画などでよく見る、石造りの螺旋階段が伸びていた。一歩石段を踏むと、ひんやりとした空気が頬を撫でた。空気達は拾ったボクの靴音を多方向の壁へ打ち付け、増幅させ、そしてボクの鼓膜へ投げ返す。まるで最奥に潜む男にボクの接近を知らせているかのようで気分が悪い。階段は、ボクを敵と見なしていた。
ならばいっそ盛大に靴音を鳴らして進んでやろう。ボクに隠れてやましいことをしているのなら、慌てふためく顔のひとつでも拝めるかも知れない。不遜な鉄仮面がどのように崩れるのか、想像しただけで胸が高鳴った。
カツン、コツン、コツン。腹を括れば足取りは軽くなった。さっきよりテンポの上がった音が方々の壁へ反射し続ける。ついには音同士が正面衝突し、そしてユニゾンした。
最後の一段を踏み終えると、すぐ目の前に目的の扉が構えている。木製の板の向こうには、ボクが積み上げた覇王兵達の屍に囲まれて亮がいるはずだ。どうしてか物音がしないのが気になったが、ひとまず様子を確認するために、そっとドアノブを捻る。指一本分空けた隙間に顔を近付けて中を覗き込んだ。すると――
白い下肢を晒して四つん這い。突き出た硬い尻。
そこに回された――指。
ボクは、地下室で行われている醜悪な光景に、目を見開かざるを得なかった。
「……ハッ!?」
不意に悲鳴じみた嘔吐感が込み上げてきた。思わず後退り、両の掌で固く口を覆って必死に呑み込む。痙攣する喉はこの不快感を吐き出そうと暴れ回る。けれど脳がそれを押し留めよと強く命令を下す。板挟みになったボクの意識は、狂事の中心にバレてしまうことを恐れて脳に屈した。
否、多分とうにバレている。あんなに大きな音を立てて階段を降りていたのだ。何度もここに足を運んでいるから解る。よほど何かに没頭しているか物理的に聴覚を遮断するかしなければ、聞こえてしまう。聞かれてしまう。ここはそういう造りの空間なのだ。
訳が解らない。亮は一体何をしている?
違う、何をしているかなど明白だ。そうじゃない。ボクが知りたいのは――
「どうした。入ってこないのか?」
「……っ!」
あの不快感が再び込み上げてきた。鳩尾がひくり、と痙攣する。口を押さえたままの両手に力を込め、いっとう強く押し返す。知人の声を模した悪魔の囁き。その犯人たる男は未だボクに背を向けたまま、ゆっくりと尻から指を引き抜いていった。
蝋燭で灯された明かりを受けた指先がぬるりと光沢を纏っている。人間の肌にしては不自然な煌めきに気を取られていると、悪魔は徐々に四つん這いを崩していく。尻が床に付き、両脚を揃えて左に流し、座る。骨張った肢体の男が、妙な婀娜っぽさを放っている。黒のインナーを残し下半身だけを晒した無様な恰好に娼婦の姿を幻視し、ボクは更なる胸の悪さを覚えた。
悪魔は肩越しに振り返る。
「見ているだけならそれでも構わんが……特段面白いものでもないだろう」
「あ、ああそうだな! まったく、こんなところで何をしているのかと思えば――」
「それとも、お前が俺の相手をしてくれるのか? エド……」
「ハァ……!?」
この男は、何を言っている?
頬が熱を帯びていく。羞恥か憤怒か、恐らくは後者だろう。決して亮の痴態を目の当たりにして下肢がむず痒くなった訳ではない。ボクは怒りのままに湧き上がった言葉を碌に吟味せず、無造作に投げつけた。
「ふざけるな! 誰がお前の下の世話などするか!」
「そうか。ならば、適当な相手を探すしかないな」
「なっ!?」
しかし、投げられた当人はどこ吹く風。加えて、鼻から抜けるような笑い声を零して目を細める始末だ。この男は時折こうして人を弄ぶような態度を取る。一体どこで覚えたのか、下手な商売女より質が悪い。
亮はなおもボクを睨みながら「どうする?」と問うてくる。答えなど解っているくせに、どうしても言質を取りたいらしい。
目を閉じ、鼻から深く息を吸って口からゆっくりと吐き出す。
「……いいだろう。外で襤褸雑巾になられても困るからな」
怒りで乱れた思考と呼吸を何とか整え、ボクは再びドアノブに手を伸ばした。
胸の不快感は、まだ治まっていない。
悪魔の挑発に絡め取られるまま、ボクは彼を硬い石畳の上へ組み伏せた。脱ぎ散らかされていたズボンからベルトを引き抜いて手首を縛り、背後から腰を掴んで手前に引き上げる。まるで交尾をせがむ雌犬のような恰好。いい気味だ。
亮はボクに尻穴を晒す体勢に興奮しているらしく、僅かに身動ぎしながら穴をヒクつかせていた。
「……っ、焦らすな……はやく……」
熱を帯びた吐息に余裕のなさが窺える。演技なのか本心なのか甚だ不明だが、確かに相手の征服欲を煽るには最適な仕草だろう。売れない芸能人や未来のないアイドルがそういった手段を講じるというのはよくある話だ。しかし、それがまさかこの男も該当するとは誰も思わないだろう。原因の一端を担ったのはボクだが、かといって同情する気もない。よって、娼婦に成り下がった男に劣情を抱くこともない。
この部屋に足を踏み入れてから、ボクはずっと亮の思い通りになりたくないという反抗心に胸を燻らせていた。どんなに甘く媚びるような声で強請られても、自身のベルトに手をかけることはなかった。どうやってこの男を辱めてやろうかという思考が、脳内で旋回する。
ふ、と視線をずらす。すると亮の傍らで口を開けて転がっていた彼のトランクが目に留まった。専用の窪みには衝撃増幅装置が仰々しくしまわれている。一瞬コイツを使ってやろうかとも考えたが、それで体調が悪化されても困るため却下した。
トランクに手を伸ばし、中を探る。あの大袈裟なサイズのトランクの中身が衝撃増幅装置だけというのもおかしい気がして、手当たり次第に物色してみると、装置の下にそれはあった。
指先に触れたものを片っ端から出していく。バイブ、ディルドー、ローション。どれも予想していたものより随分と大きい。中でもディルドーは、通常の成人男性のサイズから見ても二回り以上はあるだろう。こんなものを普段から突っ込んでいるのかと思うとぞっとする。
だがまあこれなら、自分の身を汚さずに手を下すことができるだろう。二つある玩具からバイブを手に取り、ローションをまぶして、今一度、亮の尻と対峙した。
お預けを食らったままの雌犬は、律儀にボクの指示を待っている。よく躾されているようだが、肌を粟立たせながら震える様は哀れだ。ぱくぱくと開閉を繰り返す穴の動きは、さながら金魚の口である。
片方の手で尻を掴む。骨張った硬い感触から何とか肉を割り広げると僅かに黒ずんだ襞が顕わになる。これは男の尻ではない。直感的にそう思った。またしても首をもたげた不快感を押し留め、ボクはもう片方の手に持っていたバイブを突き入れてやった。
ズブズブと、歓喜するように肉が玩具を飲み込んでいく。
「ア……は、ぁ……ぁァ……」
亮にとって、慣れた形状とサイズのそれを体内に納めることは容易いだろう。ボクの目から見ても彼は痛みを感じている様子はなく、甘く丸みを帯びた声を上げている。ああ、これは女の声だ。
「……う、ん……く……はぁ、はっ……」
納めたバイブはエネマグラを彷彿とさせる形状をしていた。どんなに奥へ突っ込んでも、会陰部に返しが引っかかってそれ以上入れられない。それでも、ボクは構わずバイブを押し込んだ。
「う、んんっ、んァ……あっ……」
弾みをつけて力を込める度、押し出されるように亮は鳴いた。震える両脚を擦り合わせようとするかのように腰をくねらせ、びくびくと尻が跳ねている。スイッチはまだ入れていない。さぞもどかしいことだろう。
「どうした、亮? 随分と辛そうじゃないか」
吊り上がっていく口角が抑えきれない。手はもちろん動かしたまま声をかけるが、返事はなかった。否、できないのだろう。その証拠に、腰の揺らめきが大胆になってきている。
ボクはバイブを動かす手を止めた。会陰部を押し込む状態で固定し、本体に内蔵されたスイッチを入れる。
途端、亮の身体が大きく跳ね上がった。
「アアッ、やあアぁぁぁァァ!」
絶叫。しかし鋭利さはなく、胸焼けするほどの甘ったるさが地下の空気を澱ませた。玩具越しから肉が中で蠕動しているのが解る。激しい収縮は、しかし程なくして収まり、徐々に弛緩していく。
ドサッと、大きな音を響かせて高く上がっていた尻が床に落ちる。力なく四肢を投げ出して横たわる亮の身体。しかし果てたにも関わらず、まだ足りないとばかりに震えていた。当たり前だ。彼はまだ射精していないのだから。
だが、それがどうしたというのだ。ボクは亮の望みを叶えた。出そうが出すまいが、オーガズムを迎えたことには変わりない。ボクは役目を終えたのだ。これ以上のことをしてやる義理はない。最後に今どんな表情をしているのか拝んでやろうと思ったが、顔の前で組まれた腕と男にしては長めの髪に阻まれて、やめた。
「アう、ぅ、くっ……ぐ……ぅぅ」
尻に刺さったまま震えるバイブに手を伸ばすと、亮は背を丸めて肩を竦めた。まるでボクの手を拒むかのような動きだが、顔を覆った状態では恐らく偶然に違いない。くぐもった声は何故か先程の甘さを失っていた。聞き覚えのあるそれは、どこか病の発作を彷彿とさせる呻きだった。
自らの心臓を押さえて床をのたうち回る亮の姿が脳裏に過る。その瞬間、ボクの心臓が警鐘を鳴らし始めた。末端から血の気が失われていくのを感じ、そこでようやく、自分がこの男に何をしてしまったのか自覚した。
彼は罹患者だ。それを知っているボクが彼と行動を共にするということは、即ち彼の自傷的行動に目を光らせていなければならないということ。自慰行為も、過ぎれば病に発展しかねない。
監督義務を放棄するどころか、悪化を助長しているという一連の事実が、ボクの胸を刺した。
挑発されたとき、ボクは強く拒絶し、そして止めなければならなかった。言い訳をしようものなら、たちまち糾弾されるだろう。脳内で、自分と同じ顔をした審問官が騒ぎ立てる様が容易に想像できる。ボクは、亮のように己の矜持を曲げ通すだけの潔さは持ち合わせていないのだ。
どうすればいい? 否まずは、彼を苛む全てを取り除かなければならない。後のことはそれからだ。血液の供給が止まったような全身の薄ら寒さも、まるで力の入らない指先の震えも、全て気合いで押さえ込んで、ボクはもう一度亮の身体に手を伸ばした。
「……っ、!?」
またしても図ったようなタイミングで亮が身動ぎを始めて、ボクは思わず息を呑んだ。亮はもぞりと両腕を擦り合わせて首を振っている。さらりと背中へ流れたターコイズグリーンの髪。戒めをほどこうとするように動いていた腕は、やがて諦めたのか徐々に顔から離れていく。
顕わになる、白皙の横顔。薄らと上気する頬の上に嵌め込まれた髪と同じ色の瞳は、薄い涙の膜を張って煌めいていた。
彼の視線は自身の手首に向けられている。すると、切れ長の目がみるみる大きくなっていく。
揺れる虹彩がボクに向かって恐る恐る動き出した。が、今更逸らそうとしても遅い。嫌でも視線が絡み合う。亮は紛れもない驚愕の色を湛えていた。
――なぜだ。
薄く開かれている唇が微動する。失った音が僕の名前を紡いだような気がした。
不意に亮の瞳が焦点を失った。慌てて意識確認のために声をかけようとするも、すぐさま元に戻る。意思を取り戻した眼差しはたちまち鋭さを増し、眉間に深い皺が刻まれた。
「……それで終わったつもりか」
地を這うような声。すると、ボクを雁字搦めにしていた戸惑いも罪悪感も全て、跡形もなく霧散していく。
「突っ込んだだけですぐにイった奴の科白とは思えないな」
「この程度で満足だと? フッ、舐められたものだ」
挑戦的な眼差しが悪戯っぽく細まる。足りないなら雌らしく媚びればいいものを、あくまでこの男は自分が優位に立ちたいらしい。
この性悪め。ボクは内心で舌打ちする。そしてトランクの傍らで役目のときを待ちながら横たわるもうひとつの玩具を手に取り、笑みを貼り付けて亮の眼前にチラつかせた。
「こんな便利なものがあるなら、自分でやったらどうだ? ボクはキミと違って変態じゃないんでね。まぁ、見るくらいなら付き合ってやろう」
言いながら、戒められたままの手にディルドーを持たせてやった。嗜虐的な衝動に背中を押されるままローションのキャップを外し、ディルドーの上で傾ける。握った容器が凹み、行き場を失った粘液は卑猥な音を立てて細い口から飛び出す。落下した先はシリコンの塊。男性器を模した形状をしていながら、人間ではまずあり得ないサイズのそれ。亀頭から陰茎を伝い、根元に向かってローションが滑り下りていく。
「さあ、足りないんだろう?」
粗方出し終えると容器にキャップをして床に放る。そして未だ亮の尻に刺さったままだったバイブを雑に引っこ抜き、それも同じく床に放った。振りかけたローションを塗り広げることは一切せず、何歩か後退して亮と距離を置く。
「…………」
放られた亮は、持たされたディルドーを眺め続けていた。ローションが重力に沿ってボタボタと零れているが、慌てる様子はない。表情は、いつの間にか消えていた。
やがて気怠げに上体を起こすと玩具を数回扱き、そして床に置いた。それも、ご丁寧にボクと差し向かうような向きで。
よろめきながらも立ち上がった亮は、設置されたディルドーの前で膝立ちになる。
「……フッ」
そして、嗤う。意味ありげに目を細め、僅かに口角を上げると、すぐに目を伏せた。すると、徐に纏められた腕がインナーの裾を摘まんでゆっくりと捲り始める。
青白い腹が、勿体つけるように顕わになっていく。薄らと縦に走る筋肉の線。しかし肉付きは悪く、胸が近くなるにつれて薄い肋の影が見えてくる。
胸の真下でインナーが止まった。徐に頭を垂れ、裾の先と顔とが近付いていく。垂れる前髪のせいで何をしているのか、見ることができない。だが窺い知ることはできる。あれは、たぶん――
顔が上がる。ほら、やはり――
罅割れた唇が、たくし上げた裾を銜えていた。
尻で挿入位置を確かめると、ゆっくり腰を沈めていく。
「ぅ……ん、ふぅ……ん……」
無機質な張型によって満たされていく亮の体内。摩擦も圧迫もローションで掻き消されて、純度の高い快感だけが残っているのだろう。亮はディルドーを深く銜え込む毎に、悩ましげな溜め息を漏らして顎を反らした。やがて根元まで埋め終えると、上下に律動を始める。
「んっ、ん……んんぅ……ふ、ふ……」
粘液同士が攪拌される音が響く。インナーを噛んだままの亮の唇では満足に声も上げられず、それが却って水音がより大きく響く要因となっていた。自ら理性を保つよう強要されているかのような状況で、フラストレーションを溜めているのが見て取れる。腰遣いは大振りかつ早く、無心に腰を落とす様は、ほとんど落下に近い。それでも何が足りないのか、肩を震わせていた。
「んふ、ぅ……うぅ……ぅんんっ」
ひたすらに快感を貪る男の手には何も握られていない。腹の前で纏められた両手のすぐ下に、解放を待ち望む欲が頻りに涎を垂らしているというのに、それに触れる気配がまるでないのだ。
「ううぅ、んあ……!」
ついに唇から布地が離れて落ちた。腕に引っかかって中途半端に捲れたままの状態になる。しかしそれに気付いていないのか、亮は構わず腰を振り続けた。ぐらぐらと揺れる上体。ギリギリ抜けきらない位置まで顕わになったディルドーが、体液ともローションとも判別し難い液体で白く泡立っていた。
そして、またしても落ちる亮の身体。自らを刺し穿つ度に亮の喉からは涙声じみた嬌声が押し出される。しかし上ずって女のようにも聞こえるそれは、どちらかというと仄暗い歓喜に満ちていた。絶えず身を焦がし続ける性的快感によって、理性も五感も何もかも溶けた廃人の様相だ。その証拠に、弛緩した表情筋が笑みの形を作っていながら、垂れ零す言葉は拒絶や拒否を表す言葉ばかり。もしや喃語の次に口にしやすいのは「や」の音だからだろうか。とにかく亮の口からは最早、意味を持たない文字の羅列しか吐き出されていなかった。
「イ、ぁァ……や、んっ、アぅ……ぁぁぁ」
びくびくと断続的に痙攣と弛緩を繰り返しながら、亮はかぶりを振った。顔に纏わり付いた汗やら涎やらが遠心力で方々へ飛び散る。垂れ流しのカウパーでできた白い水溜まりの周囲に、小さな染みが点々と生まれた。何がそんなに嫌なのか解らない。
ふと身を硬直させたかと思うと、体内を暴れ回る熱に耐えるように、肩をすくめて嬌声を押し殺す。きっとまた絶頂したのだろう。それほどに耐え難い感覚なら腰の動きを止めてしまえばいいのに、彼は快感を貪ることをやめない。この自慰行為に、丸藤亮本人の意思は希薄なように思えた。
「アぅ、あっ、あ、はぁっ……ェ、ど……」
自らの性衝動を鎮めるために始めた行為の収拾が付けられなくなった憐れな娼夫は、傍観者に助けを求め始めた。いつかこうなるであろうと頭の片隅で予想していたボクとしては、何の意外性のない展開に憮然とした。最後まで被り通せない皮なら始めから被るなと言いたいところだが、それは今ではないだろう。
亮はボクからの返事を切望するように、なおも名前を呼び続けている。その間に、白い水溜まりは一回り面積を広げていた。
たぶん、共に異世界で行動するようになった辺りから、ボクはこうなる運命だったのだ。
自分でとったはずの距離を自ら詰め直していく。一歩ずつ持ち上げる足が重くなるのを感じながら亮の前に立つ。逆転している身長。視線を落とせば、普段目にしない彼の旋毛が見える。
「……え……ド……っ」
切羽詰まった吐息。音になり切らない訴え。少しずつ、旋毛が後方へ隠れていく。
ターコイズグリーンと目が合う。苦悶を湛えて細まった瞳からボロリと雫が伝うのが見えた。
「…………っ」
被害者じみた眼差しに、ボクは耐えられなかった。すぐさま目を逸らし、まずは両腕の拘束をほどく。ベルトの下から現れた手首は薄らと赤くなっていた。亮は戒めから開放されると、ぐらりとボクの胸にしな垂れかかってきた。長い腕が首に絡み付く。動きづらいが、構わず亮の性器に手を伸ばす。
「ぁっ……」
びく、と亮の腰が跳ねた。小さくバウンドする亀頭を捕まえて外周をなぞってやるとカウパー液の量が増した。みるみる内にボクの指が白く汚れていく。あれだけ嫌悪していたはずなのに、一連の動きに迷いはなかった。くちゅ、くち――鈴口に掌を擦り付けて更に汚す。そのまま陰茎を掴み、上下に扱く。
「う、あ、あっあぁっ、や、ァ……!」
これまでずっと放置されていた場所からの刺激を受けて亮は、ぎゅう、と腕の力を強めた。首が絞まる感覚が強くなり、少しだけ息が苦しくなる。
「ああぁっ、あぅっ、く、う、う、ア、ァ」
段々と、手の中の性器が膨らんでいく。嵩を増す快感が、今にも溢れ出そうとしている。これは自ら待ち望んだ解放へ向けての行為であるはずだというのに、亮は泣きじゃくるような声を上げて首を振った。腰を前後に揺らして、ボクの手との摩擦を強めようとしているにも拘わらずだ。
何もかもを拒む小さな子供のような仕草。これが憐れと呼ばずして何と評しようか。
「アァァッ! イ、あああァァ!」
「ぐっ……!」
さらに強く首を絞められた。膨張しきった性器に血管が浮き始めているのが、指先の感触で解る。きっと、もうすぐ――
終焉の輪郭が見え始めた瞬間、ボクの中で細やかな衝動が沸き立った。理性がその源泉を探す間もなく、ボクは唇を亮の耳許に寄せる。
そして、小さく、喉を震わせた。
「……りょう」
「アッ……ーーッ!」
ハッと息を呑むのが聞こえた。瞬間、ボクに絡み付く長い肢体が硬直する。すると掌の中の性器がびくりと震え、鈴口から飛沫が迸った。
射精。この瞬間をもって長い悪夢が終わりを告げたのだ。
一歩後退すると、追い縋るようにして亮も上体をぐらつかせた。そのまま亮の尻に向かって目一杯腕を伸ばし、中からディルドーを引き抜く。肩を支えながらゆっくりと身体を横たえさせる。チラリと視界に映った亮の顔。彼は気を遣っていた。
つまり、夢から覚めたのはボクだけだった。