四
「ア、ッが……ァ……!」
粘着質な音を立てて体内に楔が打ち込まれ、その衝撃に亮は喉を引き攣らせて仰け反った。零れんばかりに見開いた瞳はぐるりと上向き、涙の膜が張られている。慣れ切っているはずの行為にも拘わらず、亮の身体はあたかも初めてのような反応を示した。丁寧に施された愛撫も、しつこいまでに拡張された肉壺も、仕上げの挿入によって全てが無駄に終わった。
ただ痛みだけが亮を襲う。それは性的快感という不純物を極限にまで取り除いた、極めて純度の高い苦痛だった。
痛みで息ができない。痛みで全身が強ばっている。痛みで逃げを打つこともできない。
ひたすらに〝痛い〟という感覚を、無抵抗に受けるしかない。
「……ッ……ぐ……」
彼は亮の異様な反応に顔を顰めて呻いた。対して亮は彼に「もう少し力を抜け」と訴えられるも、それに反応し応えるだけの余裕は皆無だった。身を捻じ切られるような、あるいは引き裂かれるような衝撃がひっきりなしに襲い、それを受けるだけで精一杯なのである。
こんな苦痛を、彼はずっと肩代わりしていたのか。
眦からぼろりと雫が溢れ出す。
「……は……ぁ、っ……ぁぁ……」
不意に亮の胸を固くて温かいものが触れた。するすると撫でるような動きの中に、焚き付けるような繊細を感じるそれは彼の手であった。ツンと主張する頂を掠めて柔く爪を立てられると、むず痒い感触から深い溜め息が漏れる。
彼は亮の強張った筋肉をひとつひとつほぐしていった。絶妙な加減のフェザータッチにいやらしさはなく、微睡むような心地よさだけが残る。やがてだらりと投げ出すまでに弛緩した亮の両脚を抱えなおした彼は、ゆっくりと腰を揺らし始めた。
「はぁ、ン……は、はぁ……」
具合を確かめるように、濡れそぼった肉壺が攪拌される。ぐちゅぐちゅと、先程より大きな音を立てて上がる水音に亮は頬を朱に染めた。いつの間にか痛みが消え、快感に変わっている。じわじわと熱毒が染み渡るような感覚に、亮の声も甘く蕩けていく。
嫌な声だった。
「……拒絶、するな……」
自分と同じ声が、亮の脳裏に湧いた嫌悪を咎める。
「それも……俺だ……。俺、自身が……選んだことだ……ッ」
肉がほぐれて摩擦がほとんどなくなったところで腰を引かれた。
すると、勢いをつけて穿たれる。
「アッ、あァァ!」
いっとう深くなる挿入。甘く激しい痺れが全身に広がっていく。先程から前立腺を執拗に抉られ、その度に抑えようのない嬌声が上がる。上ずっていく声は快感の証だった。
「んんっ、んぁっ、ゃ、あぁ……ぁ!」
少しずつ機械が誤作動を起こすように、亮は自分の身体を制御できなくなっていった。彼にコンソールを奪われ、いいように乱されていく。
性感帯を突かれれば腰が跳ねた。欲しい場所を外して焦らされれば精が溢れた。許容以上の快感を与えられれば子供のように泣きじゃくった。
汗しかり、涙しかり、唾液しかり、精液しかり。
あらゆる体液でぐちゃぐちゃになった全身をくねらせて、亮の獣心は彼の精を欲しがった。
「あぅ、あ、あっ……あァァ……」
首を振る。しかし赤子のように言葉を奪われている亮は彼に何一つ意思を伝えられていない。
否、ある意味では伝わっているだろう。彼は恐らく、亮の意思を正しく受け取った上で何もしていないのだ。
彼は笑みを浮かべていた。慈愛や親愛には程遠い表情を浮かべて、亮の体内を暴き続けている。涙やら涎やらでぐちゃぐちゃな同じ顔を見下ろして、ひたすらに腰を揺らし続けている。
「天地が……ッひっくり返るような、心地だろう……? これをずっと……俺は、されてきた……ッ」
「……ッうぅ、うああっ、ハ、ぅ……ゃ、や、ァァ!」
ピストン運動が早くなった。肉壁を擦られ、奥へ奥へと熱が叩き付けられる。摩擦の感触が薄れていき、亮は自身の体内が彼の形に変形したのだと錯覚した。
結腸間際でピッタリと嵌まる度、滝のように快感が押し寄せてくる。思わず括約筋に力を入れてしまい、更なる性感が亮を襲った。飽和点を越えた快感は天を向く鈴口から溢れ出す。それなのに、理性から切り離された身体はまだ足りないとむずかる。幼児退行を起こした長身の男は、自分の身に起きている異常に発狂した。
理性に罅が入る音がする。
亮の表情を見て、彼は笑みを深めた。
「ぁ、ああそうだ……ッ、俺は……狂ったんだ……。自らの、意思で……ッ生き、残るためにッ……!!」
――自分自身すら、棄てたんだ。
「ぁ、はぁぁっあぁァぁアあぁ……ヒ、あぁアァァぁぁ!」
一際強い突き上げが亮を貫いた。視界がひっくり返り、最後の砦であった理性がついに砕け散る。縋るものがなくなった子供は全くもって無力で、唯一許されている喃語を遮二無二撒き散らして限界を訴えるしかなかった。シーツの皺を大きくしても、両脚をバタつかせても、彼はやめてくれない。
この行為がどんなに苦痛で異常か訴えても暖簾に腕押しでしかない今の状況は、初めて地下に足を踏み入れた日の自分に似ていた。観客が楽しむショーがどんなに異常か諭しても、そもそもの理が違うのだから当たり前だ。それを知らないまま勝手に糾弾しようとした亮の方が嘲笑の的となるのは必定なのである。
同じだった。覚悟を決めて自らを晒せばこうなることなど判っていたのに、亮は自身の見通しの甘さを棚に上げたのだ。相手は自分自身なのだから、必死に訴えればやめてくれると、心の片隅で甘ったれた期待を寄せていた。それは子供だけが許される我が儘である。自らの意思で大人が集う世界に足を踏み入れた以上、その権利は剥奪されたも同然なのだ。
彼は亮よりも先に、そのことを十二分に理解していた。
「はぁう、もっと……も、と、ォ……んぁ、ぁうぅぅ!」
視界にノイズが走る。輪郭が散り散りになった世界で自身を犯す片割れを必死に探す。力の入らない腕を持ち上げ、右へ左へと彷徨わせた末に触れたのは、自分と同じ感触の頬だった。刹那、留まることを知らない快感の奔流がやむ。
「……う、ぐ……ゥ……!」
今度は全身が焼け付くような痛みが襲う。地下で何度も受けた、電流の感触だった。
「ああ……痛かったな……これまで経験した中で、最上に値する……苦痛だった……」
彼の科白に亮は首肯する。過去形で紡がれた言葉は、その苦痛が永遠でないことの証左だ。
亮は頬に這わせた手を彼の項に回し、自らの指同士を絡め、抱き締めた。
互いの胸が合わさる。結合が深くなり、下腹部に収まった彼の先端から徐々に溶けて亮とひとつになっていく。何度も叩き付けられた精はとうに吸収されている。空腹を訴えるように腹を収縮させると、彼は最奥目掛けて亮を掻き抱いた。
鞘の肉がうねり、彼を飲み込む。
取り込まれた彼は苦痛と退廃の記憶を白濁に込めて爆ぜた。
二人分の声がひとつになって地下にこだまする。
肉欲の海に沈む亮は、呼吸のし方を忘れたまま肺の中の酸素を使い切った。
しかし窒息する前に、意識が急速に浮上する。
ちかちかと明滅する視界。
肺がまた酸素を取り込む頃には、とうに彼の姿はなくなっていた。
床の上に散らかされた衣服は、漆黒のコートだけが残っている。
自身の身体に視線を落とせば、両腕、両脚に火傷の痕があった。
首に指を這わせば、引き攣れた肌の感触が首輪のようにぐるりと走っていた。
安堵が全身の力を奪った。再び身体がシーツに沈む。起き上がることは不可能だった。
睡魔が鉛を流し込んできた。沈没していく意識に身を任せるだけの亮に、抵抗など必要ない。
薄く白い瞼の形をした緞帳が下りる。役目を終えた世界は、たったひとりの役者兼観客の独断によって幕引きがされた。
新たな舞台に呼ばれた男は、この世界の末路などすっかり忘れて新たな役割を演じなければならない。
脚本の始まりは、馴染み深い島の浜辺だった。