一
スクラップの山が、そこかしこで高さを競い合っている。
仄暗く垂れ込める曇天から、しとしとと雨が降り注ぐ。
ここは、暗灰色のフィルターをかけられた世界。
生命の色は、どこにも見当たらない。
静寂に、雨音がノイズを落とす。
どちらを向いても、死んだ景色に終わりはなかった。
部外者でありながら唯一の生者である丸藤亮は、己の身に起こった異変に呆然と立ち尽くしていた。オベリスク・ブルー特待生を意味する、純白の制服を着ていたのである。
それだけではない。とあるスクラップの山で見付けた金属片に反射する亮の姿を見たとき、髪が少しだけ短くなっていたのだ。首を覆う黒のタートルネックを捲れば、残っているはずの衝撃増幅装置の痕もなくなっている。異世界での記憶を保持したまま身体だけが過去へ戻っているこの状況に、亮は都合のいい死後の夢であると結論づけた。
事象に名前がつくと、人は冷静さを取り戻せるものである。このまま突っ立っていても状況は変化しないと判断した亮は、周囲を散策し始めた。
スクラップのほとんどは金属の残骸だ。中でも機械部品のようなものが大半を占めていて、亮の倍ほどの高さを誇る山がそこかしこで形成されているところから、かつては数多の機械が行き交うような世界であったのだろうと推測する。人間のような有機物は未だ見付けられていない。
ふと山の一角で埋もれている金属片が目に留まり、亮は足を止めた。
「……? これは……」
手に取り、その金属を観察してみる。
所々錆びて薄汚れているが、それはプラチナを彷彿とさせる白銀色の部品だった。スペースシャトルのような形状をしており、底面が抜けて空洞を晒している。元々上下で接合する部品なのか、尾翼側の側面が左右に二箇所、丸く抉れていた。
機械に囲まれた生活と無縁だった亮にとって、ラジコンカーサイズの金属に触れた経験がない。にも拘わらず、冷たく吸い付く感触に妙な既視感を覚える。
その理由は、部品の側面に施された加工にあった。
中間から少し先端に近付いた辺りに、それはあった。平行四辺形にくり抜かれた中央に発光体が嵌め込まれ、透明な部品でカバーされている。その加工は反対側の同じ場所にも施されていた。
亮は部品を持つ腕を伸ばした。金属との距離が僅かだけ伸びる。そのまま腕を捻ったり手首を傾けたりすると、この形状が示すひとつの答えにみるみる目を見開いていく。
「サイバー、ドラゴン……なのか……」
息を呑む。半ば衝動的に何も持っていない方の手をスクラップの山へ突っ込んだ。ガチャガチャとけたたましい音を立てて山肌が小さく崩れていく。押し進むほど金属たちに腕を圧迫される。時折尖った部分が当たり、制服越しから鈍い痛みに襲われた。
肩まで埋まりかけたところで棒状のようなものを掴んだ。自身の腕の痛みや山の瓦解など一切構わず、一息に引き抜く。先端が鉤状になっている形状らしく、その棒は外へ出るのを嫌がるかのように何度か引っかかる。それでも亮は強引に腕を引っ張った。
現れたのはサイバー・ドラゴンの尾の先端だった。
亮の両手の中には相棒の両端が収まっている。雨に打たれ、錆と汚れでくすんだそれ。普段亮の前で放つ威光など見る影もない。
落としていた視線を上げ、改めて周囲を見渡してみる。スクラップの山は相変わらず高さを競い合うように聳え立っているが、よく目を凝らして見れば、その山々は別の姿を示していることが解った。
所々浮かび上がったように見える部品。それらは全て、亮に馴染みある機械の残骸を示す。
〝サイバー・ドラゴン達の墓場〟
そんな言葉が脳裏を過る。
「…………」
亮の足はそれ以上進む気力を失っていた。自ら打ち立てた残酷な結論に納得する己の非情さに息ができないでいる。酸素の供給を止められた身体は動くことをやめ、やがて自立する力すら放棄し始めた。ゆっくりと、その場に膝をつく。
過ちの具現が山を形成しているのだと、亮は感じた。これは、決定的な場面をひとつも覚えていないのをいいことに、カード達を疲弊させてきた事実から目を逸らし続けた末路だった。
記憶にはなくとも、犯した罪は消えない。そのことにようやく気が付いたのだ。可視化された業の風景と胸を締め付けるような痛みで、やっと。
灰色の雨が容赦なく亮の髪を濡らしていく。許容含水量はとうに越え、毛先からぽたぽたと雨水を零す。重くなった繊維が亮の頬に貼り付いて体温を奪う。
遅かった。何もかも。とっくに自分は死んだのだから体温も何もありはしない。今こうして熱を奪われていると感じるのは、未だ生にしがみ付いている証拠で、本来の肉体はもうとっくに冷たくなっているはずだから。
この姿も、恐らくは無垢だった頃の生温い楽園に未練があるからだ。
嗚呼なんて、生き汚い。
「お前はまた、無様に膝をつくのか」
不意に背後から声がした。覚えのあり過ぎる周波数に、亮の肩がびくりと跳ねる。
誰かなど問うまでもない。それは亮自身が一番よく解っていた。
「お前は……まさか日記の……」
「どこをほっつき歩いているかと思えば、こんな所にいたのか」
同じ顔をした声の主は、漆黒のコートを纏っている。亮と同じく雨に打たれ、服を、髪を重く濡らしながらも、亮とは違って打ちひしがれてはいなかった。毅然と立つ姿、勇猛な眼差しは美しく鋭利で、しかしながら生き急ぐような危うさがあった。
事実、亮は死んだ。異世界で、自らの人生を肯定するために闘った。それは、ほとんど沈んでいた意識の中で黒い自分に告げた、最後の願いであった。
今まで一度たりとも聞き入れてもらえた試しがなかったため諦めかけていたが、皮肉にも最期くらいはと叶えてくれたらしい。光の粒子に変じていく身体を見て理解した。
意識のない間、日記はどれだけ進んだだろう。日記というにはあまりにもお粗末な大学ノートが亮の脳裏を過る。彼は書き続けてくれただろうか。恐らく亮の意識が完全に沈んで以降の方が、彼のことがより詳しく記されているはずだ。
彼のことが知りたくて始めたというのに、その内容を知る日が来ないとは、何とも滑稽な話だ。
しかし今、慣れない日記を書いてまで切望した彼が目の前にいる。これは死に際の人間に与えられた慈悲なのだろうか。神を信じるつもりはないが、突拍子もない事象ばかりを目にしているとそう思わざるを得なかった。記憶の中の最も新しい記述が蘇る。
「お前は……俺を、見限ったんじゃなかったのか……?」
震える声。平素の明瞭さなど影すら残らず、出し方を忘れたかのように咽喉が硬直する。上半身を捻っている姿勢がいけないのかと思った亮は、下半身も同じ向きに捻り彼と向かい合う。
黒い彼は冷徹に亮を見下ろしている。
「おめでたい奴だ……とても同じ人物とは思えん発言だな」
彼は鼻で嘲笑した。同じ顔でも意識が違うだけでこうも別人となれるのかと、亮は眉を顰める。自分はあんな顔をしない。そう眼前の男を否定しかけて、ハッと我に返る。
亮の表情を見た彼は嘲笑を深めた。
「やっと気付いたか。お前は昔から、聡いフリをするのが上手かったな。まぁ、それは俺も同じだが」
そう言うと、彼の視線が亮から逸れた。些細な変化だが、嘲笑が自嘲になっていることに亮は気付く。
地面についていた膝を離して、ゆっくりと立ち上がる。上昇するアイレベルは彼の瞳と同じ高さで止まった。視線は絡んだまま。それは、彼が亮の動きを追いかけてくれたことの証左であった。
亮の両足がしっかりと地についたのを確認すると、彼はくるりと背を向けた。肩越しに振り返り「ついてこい」と視線を投げる。
言葉はなかった。亮の脳が受け取った彼の科白はもしかしたら間違っているかも知れない。しかし自分と彼は同一人物であるという変えようのない事実から、あながち幻聴とも言い切れなかった。一定の距離を保ったまま、亮は彼の背中を追いかける。
ばしゃん、と水溜まりが潰れる音が増えた。二人分の水音は調子の外れたパーカッションのように滑稽で、しかし無機質な世界において数少ない生命の存在を示す音であった。同じ歩幅で歩く二人は時折同じタイミングで踵を鳴らす。先導する彼が一定の速度を保っているのに対し、亮の方は速くなったり遅くなったりを繰り返している。
これが自分と彼との差か。
亮はそう思った。