ユカタとやらを着るのはとても難しい。
明らかに僕らが普段着ている洋服より布の数が少ないのに、あまりにもシンプル過ぎる形状のせいでどう纏っても心許ないのだ。袖を通し、素肌が出ないように前を重ねて閉じる。けれどボタンは見当たらず、ユカタと一緒に持ってきた紐みたいなものを腰に巻き付けた。
蝶結び――は無理だったので、方花結びの形にして腰に留めておく。結び目が大分ごわついているけれど気にしてはいけない。
四苦八苦しながらも、なんとか着ることはできた。
けれどお互いの姿を見てみるとあまりにも貧相だ。しっかり重ねたつもりなのに、皺が寄っていて今にもはだけそうである。調べた際に見た、写真のような着こなしなんて程遠い。
こんな情けない布と紐だけで、本当にきちんと着られるのだろうか。
「とにかく、一応カタチにはなったのだ。一先ずここを出て、詳しい者に正しい着方を教わるとしよう」
素人同士が脱衣所で、いつまでもああだこうだと言っても埒が明かない。
サリエリの言葉に頷き、僕らはロッカーに預けたままだった荷物を手に、一度エントランスへ向かうことにした。
改めて館内を見て回ると、建材に使用されている木材の劣化具合からそれなりに古い旅館なのだと気が付いた。元々明るい色味であっただろう柱は黒ずみ、床は細かな傷が走り、休憩スペースのソファは色褪せている。
ホテルに泊まる上で内装の新しさは結構重要だが、こと旅館に至ってはその限りではないらしい。外国人である僕らが見ても判るほどの古さなのに、不思議と嫌な気はしなかった。
むしろこの傷と色褪せが雰囲気に深みを与えているような気がする。若々しかった木目は落ち着いた色に、鮮やかだった家具はより自然に近い色合いに。自然物と人工物という、相反する作品たちが、永い時を経て寄り添い、解け合っていた。
いい旅館だ。改めてそう思う。
僕はもう少しだけここの内装を眺めていたくて、近くのソファに腰掛ける。
サリエリはそんな僕の姿を一瞥すると、そそくさとフロントの従業員に声をかけていた。
しばらくすると、彼はひとりの女性従業員を連れて戻ってきた。
「彼女が直してくれるそうだ」
紹介してくれたのは細身で可愛らしい、若い
新人さんだろうか。心なしか顔が赤い気もするが――もしやサリエリの奴、また無意識に口説いたな?
じとりと非難の念を込めて睨んでやるが、残念ながら自分に向けられる感情に無頓着な彼には効果なしだ。解ってはいたけれど悲しくて溜め息が出る。
「わかった。じゃあお願いするよ」
とにかく今は深く考えず、この哀れな彼女の好意に甘えることにした。
ここで着直すと聞いたときは、他のお客さんに見つかったらどうしようとヒヤヒヤしたがその心配は皆無だった。なにせ僕ら以外の客はいないのだ。
彼女はユカタの合わせ目に手をかけ、よりきっちりと重ね合わせる。
そしてその状態を保つように言われたので押さえておくと、紐(後で聞いたらこれはオビと言うらしい)を解き固く結び直してくれた。どうやら腰の位置で縛るのが正解らしい。
普通の蝶結びより複雑な工程で作られた、左右非対称で結び目が平たいこれは〝カイノクチ〟と言う名前らしい。他にも幾つか種類があるが、男がキモノを着る際には最もメジャーかつ簡単な結び方としてよく用いられるそうだ。
異国人である僕らからすればこれでも十分難しいと思う。彼女の言う通りこれが一番メジャーで簡単だというのなら、この国の人たちは当たり前のようにやれるのだろう。本当に器用だ。器用すぎる。
そうして、僕らが脱衣所で苦闘していた時の半分の時間で着直しが終わった。お互いの姿を確認すると、出発前にネットで見たモデルと同じ着方になっていてほっとする。やってくれた彼女と向かい合い、お礼と共にチップを手渡した。
すると何故か更に顔を真っ赤にさせてあたふたと何度も固辞しながら「お布団くっ付けなくちゃ」なんてことを呟き走って行ってしまった。
ああ、きっとよっぽど手酷く口説かれたんだな。
僕は改めてサリエリを睨んだ。