寒椿誘拐未遂事件 ※R18 - 10/10

 帰り際、フロントの前に並んでいた従業員たちが微笑まし気な表情を浮かべて僕らを待ってくれていた。初めて顔を見る人も何人か混じっており、本当に僕ら以外の客はいなかったのだなと思った。
 その中からあの若い女の子を探し出して、僕はお詫びの意味も込めて声をかける。
「ありがとう。とてもいい旅館だったよ」
 女の子はやはり顔を赤くしていた。隣に立っていた女将が彼女の背を軽く叩き、すまなさそうにしている。
「それでは、しつれいします」
 サリエリが片言の異国語で別れを告げると、男女様々な声音で「またお越しくださいませ」と頭を下げた。
 門を潜ると、そこに広がっていたのは真っ白な現実世界。来た当初はただただ恐怖でしかなかった雪の壁は、今では自然が作り上げた造形物として目に映った。
 停まっていたタクシーに荷物を積んでいるサリエリの姿を一瞥しては、元に戻す。改めて見比べると、雪と彼との共通点なんてどこにもなかった。
 そんな雪の穴、旅館の敷地に沿う形で聳えるその中から椿の花が植えられているのを見つける。きっと壁を造りだしていた原因はこれだろう。来た当初は埋もれて気が付かなかったのだ。
 明るい時間帯で見ているせいか、昨晩のような不気味な妖しさは感じられない。むしろネットで見たものと同じ、白と赤のコントラストが美しい雄大な花の姿がそこにはあった。
 そしてその花の色は、連れ去られそうになったサリエリの瞳と、似ても似つかない。
 こんなにも違うのなら、今あの内庭へ行くとどんな風に見えるのだろう。
 一瞬だけ確かめたい欲求に駆られたが、時間も時間だし逆に僕が連れ去られそうな気がしたのでやめた。
 くるりと踵を返す。積み込みを手伝おうと思ったけれど、どうやら終わってしまったらしい。彼とまた少しだけ揉めていると、オカミが見送りのために現れた。車の扉を開け、僕らに乗るよう促す。同じ後部座席の、サリエリは運転手側、僕は助手席側に座った。
「おふたりの旅が、最後まで素敵なものになるよう、願っております」
 閉まる直前、手を止めた女将が笑顔で見送りの挨拶をしてくれた。僕らも同じく顔を綻ばせると、言葉をかける間もなくタクシーは走り出した。
 遠ざかってゆく椿の門。そして僕らを威圧していた雪の壁も同様に、姿が小さくなってゆく。
「雪と椿は堪能できたか?」
 山道を下る車体に揺られながら景色を眺めていると、サリエリの声がぽつりと聞こえた。
 気を抜くと逃してしまいそうな程に唐突だったが、何となく彼が何を言いたかったのかすぐに解った。
 家に着いてから話そうと思っていたことを、少しだけ、彼の問いに対する返答という形で話してやる。
「今回はとんだ邪魔が入ったから、来年辺りにまたリベンジしよう」
 山道が終わる。
 目の前には、飛行機へ向かう電車の駅が、すぐそこに見えていた。