堕胎告知 ※R18 - 4/4

 それから幾日。否、あるいは幾週間かも知れない。それとも幾月だろうか。とにかく数えることすらやめてしまうほどに長い間、俺は授業を休み続けていた。欠席の連絡は欠かさずしているが、未だすんなりと承諾してもらえている。そろそろ仮病だと疑われそうな気もするが、通話越しの俺の声がよほど不調そうに聞こえるのか、心配するような科白が多い。何度か鮎川先生が診察に来そうにもなった。その度に、持病だ何だと適当な理由をつけて断った。この腹を見せる訳にはいかなかったからだ。
 カーテンで締め切られた部屋。陽光が差し込まず、昼にも拘わらず薄暗いまま。
 俺はベッドの上に座ったまま、波打つシーツを無為に眺め続ける。虚無が支配するこの空間では、時刻を知らせる時計の音と、犬染みた俺の呼吸だけが響いていた。
 親の心子知らずとはよく言ったものだ。腹の子の処遇を決めあぐねて苦悩する俺の胸中なぞそっちのけに、当人はどんどんと育ち続けている。まあこの場合、胎児に抱く愛情など微塵も芽生えていないのだが。悪阻のような吐き気も治まり、今では五箇月目の妊婦のようなサイズにまで膨れ上がっている。そのせいで、日々の些細な動きに支障が出始めていた。
 この様では、制服すら着られない。サイズに余裕のある服など持ち合わせていないため、着られる衣類にも限界があった。パジャマしか身に付けられない今、部屋からは一歩も出ていない。人に会えば、間違いなく騒ぎに発展すると確信しているからだ。
 よって食事のために食堂へ行くことすら出来ず、飲まず食わずの日々が続く。水は洗面台から摂ればいいため問題ないが、宿題の友にとストックしておいた菓子類は食べきってしまった。舐める塩もない。
 生命の危機だった。二人分の命を抱えている今、自らを苛む空腹には耐え難いものがある。今なら、通常の三倍もの量の食事を体内に収めることが可能だろう。腹の子に栄養をやらなければならないからだ。
 違う。俺はそんなこと望んでいない。本当は堕ろしたかった。さっさと元の日常に戻りたかった。妊娠を自覚したとき、早々に決断しなかった辺りからか。あるいは中出しを容認した辺りからか。どちらにせよ、罪の烙印は俺に押されている。だからこそ、膨れ続けるこの腹に棒でも突っ込んで無理矢理排出するような真似は出来なかった。
 否、恐らく、この腹ではそれすら不可能だろう。
 顔を覆う。
 やがて無事に産まれたとして、俺はこの子とどう接すればいい。父親不在で母親は何故か男。おまけにかけてやれる愛情もない状態で、どう健やかに育つというのだろう。まだ学生である俺には学業がある。養うだけの財力もない。そんな状況で、子育てなぞ出来るものか。
 息が苦しい。酸素が過剰に失われ、全身の力が抜けていく。前屈みになりかけたところで、腹が肺を圧迫する。総てを投げ出したいと思うことすら、許されていないような気がした。

「……亮?」

 くぐもった人の声が聞こえて、思わず顔を上げた。久しく耳にしていなかった自分の名前。まだ反応する元気があることに驚く。
 声の主は、柔らかな低音で頻りに俺の名を呼び続けている。亮、どうしたんだい? この頃ずっと休んでるって聞いて心配してるんだ。
 嗚呼、何たるだろうか。その声は紛うことなき恋人のものだった。薄暗い部屋が一段と暗くなる。俺は恋人がいると思われる扉の方へ顔を向け、必死に追い返そうとした。今は体調がよくないからと、お前に移してしまってはいけないからと。だがやはり、恋人は聞く耳をもってはくれなかった。でも、だとか、そうは言っても、とか、そう続けて食い下がってくる。普段ならばありがたいと感じるはずの優しさが、今は煩わしくて仕方がない。
 遂には俺の了承もなしに入室すると言い始めた。それだけは駄目だ。咄嗟にそう怒鳴りかけるも、腹の圧迫で息が詰まり不発に終わる。返事も何もなくなってしまった俺の反応を是と捉えたらしい恋人は、ドアノブに手をかけた。
 ラッチの結合が外れる。まるでスロー映像でも見ているかのように、ゆっくりと扉が開かれていく。ベッドと扉を隔てるものは何もなく、開け放たれてしまえば俺の全貌が詳らかになってしまう。逃げようにも、こんな重たいものを腹に抱えた状態では不可能だ。ならば、取れる手段はあとひとつ。
 恐る恐る、といった表情で恋人が入室してきた。彼の眼前には、丸々と膨れた腹を抱えてベッドに座り込む俺の姿がある。その異様な光景に、恋人はぎょっと息を呑んだ。
 絡み合う視線。俺は努めて幸福そうに眦を綻ばせて告げた。

「ふぶき……俺はどうやら、子を身籠もったらしい……」