僕だけが知る碧色 ※R18 - 2/3

 長風呂から上がってワイシャツを纏った。濡れ髪を滴らせて寝室へ向かう。一日の終焉を過ごす部屋。火葬のように燃え上がり、骨も肉もなくひとつになるその場所へ、覚束ない足を動かして歩いて行く。ノックを忘れた右手はドアノブを握る。そのまま力を込めてラッチの結合を解くと、柔らかな棺桶の上には吹雪が座っていた。
「まっていたよ」
 恋人は柔和な微笑を湛えて歓迎する。まるで亮の荒んだ胸中を見透かすように澄んだ眼差し。どうしてか、いたたまれなくなる。
「準備、してきたんじゃないのかい?」
 恋人の声音は穏やかなままだった。低くて、心地のいいテノール。硬質で平淡な亮の声とは大違いだ。
 亮はまだ立ち尽くしている。明確な意思を持ってその扉を開いたはずなのに、いざ目的の人物を前にすると足が竦んだ。雑誌やファインダー越しで畏怖の念を向けられる〝皇帝カイザー〟など、どこにもいない。そこにいるのは、ひとりの臆病な男だった。
「……おいで」
 部屋の奥で吹雪は柔らかく手招きする。亮の無言の欲求に応じる科白。しかしそれ以外の選択は許さないという音も含んでいた。断頭台を前にしているような心境を抱き始めた亮は、扉を閉めて逃げ道を断ち、ぺたんとフローリングを踏む。
「……ッ! ……っ、ふ……ん……」
「ん、ん……」
 ベッドへ到達する前に、迎えに来た吹雪によって捕らえられた。全身を密着させるように抱き締められ、同じ高さから唇を押しつけられる。口内の粘液を交換している間、亮の背後では吹雪の手が這い回っていた。焚き付けるように背筋を撫でられ、かと思えば硬く引き締まった尻を揉まれる。行為の開始を告げる儀式は、確実に亮の身体に火を点けた。
 上昇する体温に、脊椎が溶けていくような気がした。元々逆上せ気味で覚束なかった足はいよいよ自立する力すら失いつつある。ずるずると全身が沈み、同じであった背丈に差がつき始める。そこでようやく、唇を離された。
「は……ぁ…………ッ!」
 半ば引き摺られるようにして、ベッドに放り込まれる。力なく投げ出す四肢。その中心は、行為の続きをせがむように起立していた。先端を吹雪に撫でられて、亮は思わず息を乱す。
「亮、今日仕事先で何かあった?」
「……な、にも……」
「何もってことはないだろう? なんだか機嫌が悪そうだったし……ヤなことでもあったのかい?」
「はぁ……ぁ、いつもの……ことだ……ァッ」
「そのいつものこと・・・・・・がわからないから聞いてるんだよ?」
「ん、ぅ……や、やめ……」
 吹雪はベッドの縁に腰かけて、熱を持て余す亮にフェザータッチを施す。触覚を研ぎ澄まされた状態の亮にとってそれは拷問に近い苦痛だった。じくじくと炙られる肌。なんて酷い生殺し。どうせ今日の自分はこれで死ぬのだからひと思いにやってほしかった。
 じわりと滲む視界。眦からこめかみにかけて濡れていくのを感じながら、亮は恋人を仰視する。自身の生殺与奪の権を握る彼の慈悲がほしい。
「ホラ、早く言わないとこのままだよ?」
 生温い快感が高まってゆく。触れられた場所から発熱してゆく。息などもう絶え絶えで言葉を紡ぐことすら困難なのに、恋人の顔をした悪魔は話せと言う。
 悪魔は嘘を吐かない。だから彼の言う通りこの苦痛から解放されるには、今日あった出来事を話さなければならなかった。
「ぁ……ッし、ごとばで……カメラマン、の、つきびとに……んぅ、おれ、で、も……わらうのか、と……い、われ、た……」
「それは、君が皇帝カイザーだから?」
「しらな、ぃ……ん、あ……そ、そこまでは……」
 吹雪の指が離れる。代わりに皺だらけになったワイシャツに手をかけられ、ひとつひとつ、ボタンが外されてゆく。白く引き締まった胸が顕わになり、それぞれの頂で慎ましくも主張するそれに舌を這わされた。
「ッ、……く!」
 先ほどよりも強い刺激。膝が立ち、肩甲骨が浮き上がる。ころころと舐め転がすように愛撫される感覚が堪らなくて、亮はくなりと悶えながら全身で続きを強請った。
 もうすぐでイける。そう思った瞬間、無情にも亮の胸から吹雪が離れてしまった。

「かわいそうな亮」
 ベッドシーツに染みを作る亮の髪を梳きながら吹雪は言った。
「可哀想な亮。君はこれから先も、たった一度の衝撃で名付けられたレッテルを背負っていかなくちゃならない。払拭しようとどんなに努力を重ねても、初めに植え付けられた先入観が消えることはないんだよ」
 くるくると、指を絡めれば絡めただけ、亮の髪に含まれた過剰な水分が移る。透明な血のように滴るそれは、ゆっくりと肘に向かって落ちてゆく。
「外へ出る度、君はそのレッテルに苦しめられ続けるだろう。でも大丈夫。君が皇帝カイザーに足る人物でないことは、この僕が保証する。僕だけが……本当の君を知っている……」
 そして肘を支えるシーツに、またひとつ新たな染みが生まれる。
 額に口付けが落とされた。

「おいで。全部さらけ出したいんだろう?」

   ◆

「う、あ、あ、ァ、あ……」
 上ずった低い嬌声が、粘着質な水音と混ざり合う。吹雪に跨がる亮は、その下で伸びる凶器を自身に突き刺して善がっていた。何度も何度も何度も、体内を溶かす熱棒を擦り切らんばかりにしゃぶり続けている。腰を浮かせて、抜けないギリギリのところで一気に落ちる。すると肉壁を巻き込む強い摩擦が性感帯を刺激して気持ちよかった。
 騎乗位の中で、亮は着地する瞬間が特に好きだった。結腸を破らんばかりの衝撃が、臍の下にまで伝わるのだ。女性で言うところの子宮にあたる部分。そこが性感を拾い上げ、前後不覚になるほどの快感が駆け抜けてゆく。そんな感覚を、亮は体力の続く限り貪っていた。
 この体位のとき、竿役である吹雪が動くことはない。全てをさらけ出したいという望みを叶えるためなのか、亮が疲れ切るまでただ静かに見上げている。その表情は慈愛に満ちているようにも見えるが、どこか不穏な陰りも漂わせていた。
 このときの吹雪が何を考えているかなど、獣のように善がり狂う亮は知るよしもない。
「あっ、ぁ……あぁァァ……」
 四度目の絶頂。吹雪の腹の上には夥しい量の精液に塗れている。その上から、新たな獣心の象徴を散らした。
 力ない悲鳴を虚空に向けて発した亮は、そのまま上体をぐらつかせた。吹雪の両脇に手を付き、肩で息をする。
「もうおわり?」
 吹雪の言う通り亮の疲労は限界だ。三度目を越えた辺りから絶頂まで時間を要するようになり、もどかしくて堪らなくなった。辛うじて残った体力で懸命に腰を揺らすも、四度目の絶頂を迎える頃には何をやっても駄目だった。
「はぁ、はぁ……は、ぁ……」
 もう中の熱を食い締める力すら残っていない。にも拘わらず、性交はまだ終わらない。まだ一度も吹雪が達していないからだ。
 寝そべっていた上体が起き上がり、腕を掴まれる。
 亮の苦痛はこれからだった。
「君のいやらしさはこんなものじゃないだろう」
 体位を変えられた。疲労で弛緩した身体が反転し、天地は逆さまになる。今度は亮がシーツに沈んだ。両脚を抱えられ胸元に向かって持ち上げられる。赤ん坊がおしめを替えるような無様な体勢。そうして晒された肉壺の中に、再び楔が埋められる。
「あっあっ、う、あぁぁ……」
 ずぶずぶと、焦らすような挿入だった。少しずつ肉の感触を堪能するようにそれが入ってくる。ひとつひとつ丁寧に、自身の性感帯を指さし確認させられているような羞恥が襲い、それが更なる快感となって全身を蝕んだ。体位が変わり、律動が他人に委ねられたことで、急速に絶頂が近くなる。
「あ、イ、んんぅ……!」
 五度目。まるで一度目のような暴力的な衝撃が走った。しかし休む間もなく吹雪の攻めは続く。
「……うあ、あ、あァーー……!」
 六度目。性器は萎えたままだった。ひたすらに体内から供給される快感に全身が悶える。
「ふ、ふぶ……ッ、き、イあぁぁァァ!」
 七度目。それはまるで全身を性感帯にされたような心地だった。それほどに壊れきった亮の身体は、吹雪によって齎される刺激に対して狂ったように快感を拾い上げる。
 嬌声が悲鳴に、そして絶叫に変わる。確かに快楽を求めてはいたが、許容量を越えればもはや苦痛だった。
 モウダメダ。コワレル。
 冷徹だったはずの顔を涎と涙でぐちゃぐちゃにしながら、亮は頻りにそう泣きじゃくる。
 それはまるで子供のように。
「いやだァ! ふぶき、ふぶきぃ……も、あぁァ! ……ィ、きたくな……ッ!」
「……ッ、いいよ……僕も、そろそろ限界だから……一緒に……ッ」
 そう言って吹雪は亮の腰を抱えなおす。より深くなった結合に叫び出した亮は、急速に湧き始めた恐怖に混乱して両手を伸ばす。吹雪の首に縋り付き、そして泣いた。

 最後の絶頂は、まるで断末魔だった。
 真っ白で柔らかな棺桶に、今日の死体ができあがった。