「サイバー・エンド・ドラゴンで、プレイヤーにダイレクトアタック!」
吠える。皇帝の背後で威光を放つ白銀の竜は三つある鎌首をもたげ、それぞれの口から一斉に光線を吐き出した。見るもの全ての網膜を焼かんばかりの光量は、一直線に獲物であるデュエリストへ向かっていく。デュエリストの場には、彼を守るモンスターもいなければ竜の光線を阻む罠もない。可視化された破滅がデュエリストを貫いた。
爆発。そしてデュエリストの首と四肢に装着された衝撃増幅装置が作動する。二人分のライフポイントと同じ数字のダメージが電流に変換されてデュエリストを襲う。絶叫、断末魔。デュエリストはそのまま床に転がり、動かなくなった。
「勝者! ヘルカイザー亮!!」
高みの見物をしていたリングアナウンサーが、勝者の名を叫んだ。露骨な結末をわざわざ口にする滑稽さに、猿山は鼻を鳴らして嗤う。しかし、観衆はそうではなかった。リングアナウンサーの声量に煽られて、方々から野太い歓声が上がる。下卑た称賛は殆ど罵声に近い。それでも地下の理では、それは勝者に向ける賛辞であった。
檻の戸が開く。意識すら奪われた敗者は、ステージのスタッフによって担ぎ出されていった。対して己の勝利を見届けた皇帝は、しかし未だ佇んだまま。獣から人に戻る道はとうに示されているというのに、振り向くどころか顔すら上げる気配がない。まだ飢えが満たされていないのだろうか。確かに、今宵の対戦相手は猿山の予想を下回っていた。路地裏でカード狩りのようなことをしていると噂を聞きつけてわざわざ声をかけたのだが、やはり所詮はデュエリスト崩れである。ストレート負けなど情けない。
とはいえ、用意した生贄はあの男ひとりだ。ヘルカイザーが誕生して以来、かつてない速度で再起不能となるデュエリストが後を絶たないからである。観衆を沸かすどころか一息に仕留めんばかりの気迫は、圧倒的な力でもって対者を襲い、ライフポイント以上のダメージを叩き出す。無慈悲なオーバーキル。そのせいで、殆ど生贄のような扱いをしなければならなかった。猿山の手駒はとうに数少ない。一日に何戦もしていたこのイベントも、一戦前後に抑えなければならなかった。
さて、彼にはどのように説得してご退場願おうか。無言で人を圧する男に最適な科白を探すため、顎を撫でたその瞬間だった。
「……っ、う……」
徐に皇帝の膝が頽れたのである。自身の勝利を見届けたにも関わらず、まるで敗北したかのように崩れ落ちる姿に観衆はざわめいた。何があったのかと皇帝の身を案じる声もあれば、あんな調子の悪そうな奴に負けるなどあり得ないと、皇帝の対戦相手を嘲笑う声もあり三者三様だ。中には膝を折った皇帝の姿に興奮を口にする者もいた。混沌の様相を濃くしていく地下。立ち上がって暴れるような者こそ現れていないものの、収拾がつかなくなるのも時間の問題だろう。いよいよ猿山は、獣の聖地である檻の中へ入り、未だ立ち直る気配のない皇帝を引き上げに行った。
◆
皇帝に、己の肩を貸しながら楽屋を目指す。覚束ない足取りの彼は、数歩前進するほどに小さく呻いた。嘔吐感を抑えているかのような喉の硬直。腹でも下したのか、デュエルディスクを嵌めたままの手は下腹部を押さえている。眉間に皺を寄せて俯く顔を横目に、猿山はやれやれと嘆息した。
普段の倍ほど時間をかけて、目的の部屋に辿り着く。錆の激しいドアノブを捻るのに多少四苦八苦しながらも、背負った大きな荷物を落とすことなく入室に成功する。「着きましたよ」と声をかけて、手近で口を開けていたシングルソファーに荷物を放った。たった十数分の間で無様な姿になり果てた皇帝は、背もたれに縋り付くような恰好でその身を投げ出す。しばらく震えていたかと思うと、やがてもぞもぞと身動ぎを始めて正しい向きに座り直した。
「何か要りますか?」
ようやく皇帝の顔を見た。天を仰ぐように晒された彼の相貌は、青く血の気を失っている。苦悶に強張った表情筋、固く閉じられた瞼。そして、呼吸を維持しようと小さく開かれた唇。閉じることを忘れたそれからは、水を所望する無声音が零れた。
備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。甲斐甲斐しすぎると自覚しながらも、キャップを緩めて皇帝に差し出した。皇帝は猿山の手元に一瞥すらくれずひったくり、キャップを足下に放って一気に呷る。忙しなく上下する喉仏に、飲み下しきれなかった水が無作為な筋を描く。やがて半分ほどを胃に収めたところで、猿山に容器を手渡した。
「また中に出させたんですか」
受け取った水を見せつけるようにゆらゆらと振り、猿山は、かねてより腹で燻らせていた感情を吐露した。「これで何度目です?」と、積み重ねた罪の確認も怠ってはいけない。
しかし、幾度にも渡って繰り返されたこの遣り取りは、皇帝にとってはもはや形骸化した儀礼も同義であった。
「いつの間にか破られていた」
水を摂取したことでいくらか顔色を取り戻した皇帝だが、その相貌に羞恥心も罪悪感も見られない。ただぼんやりと天井の染みに視線を投げながら、事実かどうかも解らない言い訳を口にしている。まるで他人事であった。
「それならば何故、終わってからすぐ掻き出さなかったのです? 病気でももらったらどうするんですか」
「気付いたら朝だった。処理はそれから済ませた。ただ間に合わなかっただけだろう」
「まったく……」
猿山の口から深い溜め息が漏れる。そのまま気力も吐き出してしまったのか、頭痛と倦怠感がその身に襲いかかった。
皇帝――丸藤亮の爛れた性生活は今に始まったことではない。切欠は、亮に戦場の機会を与えるために講じた策であったが、続けているのは他でもない亮自身であった。数こそ多くないものの、時折こうして残滓を内に纏わせて戦場に立つ。男の慰み者になった後はデュエルで同様の扱いを受ける。それを亮自らがより生々しい姿で再現しているように、猿山の目には映った。
昨晩の亮の痴態を思い出す。節くれ立った指がベッドのシーツに爪を立て、長い両脚が男を迎え入れるかのように開き、その中央では濡れそぼった局部が顕わになっていた。物欲しげにヒクつくそこに男の剛直が突き入ると、亮は首を反らして甘く鳴いた。
回を増す毎に雌の様相を強めていく亮の仕草。確実に、房中での所作を身に付けつつある。さほどの需要はないだろうと高を括っていた花は、腐れば極上に甘美な香りを立ちのぼらせた。彼の毒性は、猿山の予想を遙かに超えた。どこで聞きつけたのか、亮と一夜を共にしたいと言い出す連中が次第に増えていった。
猿山が気付く頃には、歯止めは効かなくなっていた。亮が生でするようになったのもその頃からである。何もかもが手遅れで、一時は今後の身の振り方について真剣に考えたこともあった。しかしそうならなかったのは、被害者たる亮自身が受け入れているからだ。他にも事業を掛け持ちしている猿山にとって、煩雑な作業や手続きの増加は避けたい。つまり、何もないということは好都合であった。
「アナタは私にとって大切な稼ぎ頭なのですよ。少しはその自覚を持ってもらいたいものですね」
しかし売春行為の容認とプレイ内容の是非は別問題である。このままでは近い未来に、何らかの性病でも拾って活動に支障が出かねない。小姑のような苦言を呈するのは必然であった。
しかし腹の読めぬこの男に、猿山の戒告は通じない。急所を狙って刺した言葉に代わって返ってきたのは、著しく焦点を失った生返事。視線を合わせる気すらないらしい彼の態度に、いよいよ折れたのは猿山の方であった。拾った当初は初々しく操り甲斐があったというのに、今ではまるで壊れかけのロボットを相手にしているような心地である。若造のくせに、不便極まりない。
だがマネジメント契約を交わした以上、途中で投げ出すことは猿山の矜持に反した。ミネラルウォーターを冷蔵庫にしまい、懐から手帳を取り出して今月のページを開く。
「そう言えば、今夜もどなたかとの約束がありましたね」
「ああ……」
「場所は?」
「ここだ」
「は?」
「先方からの指定だ。俺に拒否する権利はないだろう」
「え、ええ……ですがまさか、ここにベッドでも用意しろと言うつもりですか」
「……どちらでも。場所などいくらでもあるだろう」
亮の科白に、猿山は何度目かの嘆息を零す。中身をチェックする前に予定の確認ができたのは好都合だが、余計な情報まで聞かされて疲労が増した気がした。これ以上の追求をしても無駄だと判断した猿山は、楽屋に持ち込んでいたトランクから、大人しく予定に必要な道具類を出していく。ローション、ウエットティッシュ、コンドーム。始めこそ、その姿を目にする度に嫌悪で顔を顰めていたが、今は何の感慨も湧かない。慣れとは恐ろしいものである。ソファーの近くに設えてあるテーブルにそれらを並べると、荷物を纏めて退散の準備を進めていく。
「会場の後始末をしてきます。終わったら連絡をおねがいしますよ」
「……ああ」
そして楽屋の扉を開けて猿山が出て行くまで、娼夫と視線が絡む瞬間は、終ぞ訪れなかった。