失明しそうな程に照りつける太陽がとても痛い。
ここが避暑地だと言ったのはどこのどいつだ。肌を焼く日差しもさることながら、纏わり付くような湿気がより一層暑さを際立たせている。なにより、風がないのがいけない。風が吹かなければ、せっかく汗をかいたところで冷えずにただ不快なだけになってしまう。素肌に纏ったワイシャツがぐっしょりと濡れている。最早全裸にならなければ快適さは得られないだろう。否、寧ろ全裸になったところでこの蒸し暑さからは逃れられない。
大体、そこかしこから聞こえてくるジリジリという音は何だ。四方八方から鳴り響いているせいで平衡感覚が狂いそうだ。ひとつひとつの音が大きいため、それが幾重にも重なることで騒音と化している。ここの住人は毎年こんな酷い音に耐えながら生活しているのか。後で聞いてみたら〝セミ〟と呼ばれる虫の鳴声だそうで、長いと二月以上も鳴くことがあるそうな。地獄かと思った。
耳と肌で感じる環境は最悪だが、視界に広がる広大な自然は最高だった。
深い緑が生い茂る山に囲まれた小さな集落。ポツポツと点在する建物は木造の平屋が殆どで、大きな引き戸が開け放たれており、家の中が窺い知れた。縁側に座ってスイカを食べる子供達がいる。おいしいおいしいと言いながら、暑さをものともしない顔で笑っているところを見るに、さぞ冷たくて甘いのだろう。
(……あれ……?)
妙な風景だ。ふと胸に痼る違和感に首を傾げる。
嗚呼そうだ。大人がいないのだ。ここを散策するために宿を出た頃にはまだ何人か見えていたのに、暑さで唸っている間に子供だけになっていたらしい。
他の民家にも目を向けてみる。が、やはり大人らしい姿が見当たらない。連中はどこへ行ったのだろう。
この状況に対し、子供が慌てている様子はない。これがこの集落の日常なのか、それとも何かの行事なのか。碌に情報収集をしなかった異邦人の僕では、この不可解な場景に結論など出せる訳がなかった。
干からびた地面を彷徨きながら子供に事情を聞いてみようか、自力で答えを探しに行こうか考えていると、セミの騒音に混じって鈴の音が聞こえて顔を上げた。
シャン――シャン――
鈴同士が幾つもぶつかり合うような凜とした音だ。それは一定の間隔で鳴っており、かつ徐々に近付いている。
続いて聞こえてきたのは小さな太鼓の音。その高さから、片手でぶら下げられそうなサイズだろう。トン、トトン。トトン、ト、トン。控えめで所々ズレているが、まあ大方許容範囲のリズムを刻んでいる。
抑揚のない音。全部、素人の音楽だ。少し聴いただけですぐに解る。これは普段音楽の
「あ……」
不意に頬へ冷たいものが落ちてきた。指先を這わすとそれは水滴だった。空を見上げる。紛うことなき快晴。しかし、心なしか湿度が上がっているような気がする。肌に纏わり付くような不快感が増していて、濡れたワイシャツが所々肌色に透けていた。
水滴が徐々に頻度を増してゆく。まるで笑い泣きしているような空模様に、何故だか胸がざわついた。
不思議な雨のせいで、あの不快な音楽の響きが悪くなった。しかし音は、なおもこちらの方へ近付いている。その出所が漸く掴めたところで、僕は目をこらしてその道をじっと見詰めた。そして建物を曲がって現れたのは、先頭以外は真っ黒な装束を身に纏う奇妙な一団だった。
最初は葬儀の列かと思った。が、先頭の人物が反対に真っ白な出で立ちをしているのできっと違うのだろう。夏場にも関わらず暑そうな民族衣装(だと思われる見慣れない衣装)を幾重にも羽織り、顔立ちが見えないように同じ材質の布で頭部を目深に覆っている。その後ろに続いて歩く黒ずくめの女は、柄の長い朱色の傘を差して先頭の人物が濡れぬように配慮していた。
この光景には覚えがある。現物を見るのは初めてだが、ここへ来る前に読んだ観光ガイドに伝統行事のひとつとして説明書きがされていたのを思い出した。
そろそろと顎を撫でながら写真で見た一行を眺める。そうかこの人はこれから嫁ぎに行くのか。しかし相手はどこだろう。そもそもガイドブックにはこの儀式について何と書いてあったか。舐める程度でしか読まなかったため、記憶が酷く曖昧だ。
もしかしたら彼女らが進む先で新郎が待っているのかも知れない。僕は少しだけあの花嫁に興味が湧いた。
そろりそろりと、小さな歩幅を懸命に動かして歩く姿は可憐だ。少しだけ肩を竦めて俯く姿勢など儚い印象を受ける。背後の傘持ちよりかなり上背があるように見えるが、控えめな仕草のお陰で心地好いギャップを感じた。彼女は今、どんな顔をして嫁入りの道を歩いているのだろう。どんな美しいかんばせをしているのだろう。どのような化粧を施されているのだろう。
気になった。気になって仕方がなくなった。
そして僕は、徐々にその足取りを黒ずくめの一行へと向けていく。
「……は……」
純白の
「……うそだろ」
白粉の塗された肌が濃い陰影を刻んでいる。僕よりも骨張った
そもそも女ですらない。ならばこの行列は何なのか。ガイドブックには確かに〝嫁入りの儀式〟と書いてあった。この地では男でも
仮にこれが本当に
彼は多分、二度と地上へ降りてくることはないのだろう。僕はそんな予感がした。
ふと男の顔が上がった。僕が立つ方向へ首の角度を変えると、ずっとひた隠しにしていた表情を僕に見せてくれた。
「――――」
口端が、三日月のような形に吊り上がっている。その薄い唇に走るのは、傘よりも鮮烈な
そして諦めを含んで蕩けた双眸も、唇と同じ
白い相貌に浮かぶ三つの
美しくはないはずだ。なにせ同じ男だし、よく見れば自分と背丈が変わらなさそうだから。
なのに、どうしても彼から目が離せない。緩く弧を描いている真紅の唇が僕の視線を引きつけて止まない。妙な引力を持つそれに身体が持っていかれそうだ。
いつの間にか呼吸が浅くなっていた。早鐘を打つ心臓が苦しくて胸を押さえる。すると男は僅かに目を伏せ、諦めたか興味が失せたのか判らない笑みを浮かべて進行方向へ向き直った。
吸い込まれそうになっていた僕の身体は、その瞬間持ち主の元へ戻ってきた。
◆
行列に背を向けて足早に去る。なりふり構わず一直線に宿へ向かい、到着する頃には僕の疲労はピークだった。
肌に貼り付くワイシャツが邪魔で脱ぎ去る。予め点いていた冷房に身震いしたが、僕の身体は熱を訴えていた。
膝を抱え、俯いて額を当てる。暗くなった視界に浮かび上がったのは、嫁入りに向かう男の真っ赤な唇と瞳だった。控えめに弧を描き、緩く眦を落とし、僕を手招いている。袖口から覗く骨張った手指が僕の首に絡み付く。顔面以外の素肌を見たことがないためこれはただの妄想に過ぎないのだが、それでも厭にリアリティのある幻想に僕の鼓動は再び早鐘を打ち始めた。体温も三度程上昇したような気がする。
そしてその熱がどこから湧き上がっているのか。立てた膝小僧に額を当てた体勢でいるせいで、ふわりと鼻腔を掠めた青い匂いに自覚せざるを得なかった。
駄目だ。我慢できない。
僕はその体勢のまま、ベルトのバックルに右手をかけた。