大砲と鉤爪の贄 ※R18

5/4に参加したスパコミ「超★俺のターン2023」にて頒布した無配本の再録です。
夢オチ。

 

「ここは……」

 目を開けたつもりが、墨をぶちまけたような黒が広がっているだけだった。
 あたりを見回し、そして自身の身体を見下ろす。首を捻ったり、腕を上げたり。脳はたしかに四肢の稼働を認識するも、その様子が視界に映らない。掌を掠める布地の正体は、着慣れたパジャマの感触だった。
 ここは黒いだけの世界ではなく、一点の光すら差さない暗闇の世界だ。カーテンを閉め切っても味わえない暗さに、状況を把握しようとする脚が少しの間竦んだ。

『ヤット来タ……』

 意を決して探索を始めようとしたそのとき、背後から合成音のような声が聞こえて足を止めた。

『ヤット来タ……』

 急速に気配が膨れ上がる。何も見えない周囲から、俺を見下ろすような視線を感じる。ひとつか、あるいは複数か。値踏みされているようで不快だ。

『ヤット来タ』
「……ッ!?」

 俺の来訪を歓喜する声が大きくなる。瞬間、背後からするりと何かが伸びてきた。脇の下を通り、反応する間もなく胴体を絡め取られる。そして引っ張られるままに身体は宙に浮き上がり、拘束から逃れることは不可能になった。

『待チ侘ビタゾ……』
『儀式ダ。早ク準備ヲ』

 不気味な静寂が漂っていた空間は一気に騒がしくなった。鋼鉄の軋むような鈍い音が響き、それに混じってあの合成音が何やら騒ぎ立てている。慣れ親しんだ言語であるはずが、その内容がひとつも理解できない。

「……何をするつもりだ」

 得体の知れない者どもは、捕らえた俺の存在など気に留めていないようだ。儀式だ準備だと喚きながら、忙しなく動き回るような音を立てている。連中の気もそぞろな内にどうにか脱出できないかと考え、蜷局を巻くように絡み付く拘束に手をかける。が、まるでびくともしない。病人の体力では無理な話か、と乾いた笑みが零れた。

『儀式ヲ……!』
「っ! ぐ……」

 耳許に軋んだ声が響く。服越しに食い込む力が強くなり、息ができなくなる。ギリギリと締め上げられていく内に、俺は生命の危機を覚えた。
 その頃になってようやく暗闇に目が慣れ、ほんの微かな影程度なら見えるようになった。やはり、自分を拘束しているのは蛇を模したような姿をしている。感触から、蛇腹状の機械動物といったところだろう。サイバー・ドラゴンかとも思ったが、些か身体が細いような気もする。
 僅かに呼吸を制限する程度の力で俺を締め上げてしばらく、それは突如、拘束を解いた。ゆっくりと床の上に下ろされ、そして気配が離れていく。残存する痛みで身体に力が入らず、俺はしばらく転がったまま動けなかった。その間に、先ほどとは別の何かによって再び捕らわれる。背後から抱え込まれるような感触――ようやく、そいつらの正体に気付く。

「……心臓の次は、何を奪うつもりだ……」

 唇が震える。それは絶望のような恐怖によるものだった。
 一度ならず生死の境を彷徨ったこの身体は、まだソリッドビジョン・システムの衝撃に耐えることができない。完全に回復するまでデュエルのできない自分に、連中はこれ以上何を望むというのだろうか。少しだけ自由を取り戻した腕で、一度は鼓動を止めたそこに触れる。

『オマエ、ナニカ勘違イヲシテイルナ?』
「なに……?」

 ギシギシと、耳障りな音が耳朶を舐める。嘲笑うような声が、自分に直接声をかけてきたという安堵を掻き消す。

『殺シハシナイ。ズット踏ミ倒サレテイタ義務ヲ果タシテモラウダケダ』

 それが連中の云う〝儀式〟というやつなのだろう。理解はできたが、納得までに至らない。
 不意に何かが稼働する音がして、電球ほどの明かりが周囲に点灯した。光量の乏しいそれ、まるで機械の双眸のような視線を感じる。

『手放スノナラ残シテイケ』
『残セ』
『コレハ義務ダ』

 囃し立てるような音が大きくなり、連中の動きも活発になった。すると、パジャマの合わせ目を強く引っ張られて息が詰まる。
 ブツンと繊維が千切れ、素肌を顕わにされる。それが凡ての引き金になった。

「はっ……! ッ、ふ……」

 冷たいものが腹に触れて、びくりと身体が震えた。金属製の管のようなそれは、蛇のようなしなやかさで肌の上を這い回る。掠めていく程度の力加減に、嫌な既視感がよぎる。

「ぁ……はぁ……」

 肌のあちこちに散りばめられていく掻痒感。悪寒にもにたその不快な感覚は、記憶の底にしまっておいた欲を引き上げるための糸に変わる。無意識に、尻のあわいがひくりと蠢く。焦りが募る。

「……よ、せ……お、まえ達と……する、気、は……あッ」
『黙レ』

 連中を制止するために開いた口は、すぐに阻まれた。臍の下を這う管の先端が押し込まれたのだ。強い圧迫感と共に甘い痺れが広がり、全身が快楽に震える。

『イイ具合ダ』
『ハヤク解セ』

 何かの駆動音が方々から上がる。些細な音であったそれは、幾重にも重ねて大きなざわめきとなった。ただならぬ気配に危機感を覚えるが、視力も腕力も劣る今の自分では、次に襲い来る衝撃をじっと待つことしかできない。

「くっ……」

 管の数が増えた。腰に触れたかと思うと先端がパジャマのズボンに引っかかり、器用に下着ごと抜き去られる。そして連中の前に晒す羽目となった両腿へそれぞれ管が絡み付き、大きく開かされた。
 この体勢なら、触られる場所など二択だろう。その内の一つ、緩く勃起する性器を掴み、扱かれる。

「あぁっ」

 腰が跳ねる。先端から漏れ出る先走りを塗り込めるような力加減は絶妙で、数分もしない内に、射精の予兆がやってきた。堪える間もなく、ウェットオーガズムの開放感に包まれる。

「……はぁ……ぁ……」

 早漏だと揶揄する幻聴が聞こえた。思わず舌打ちをしかけるが、もう一つの性感帯に忍び寄る予感がして息を呑む。どろりと冷たいものを垂らされた場所は、性器からさらに下の場所。蟻の門渡りを伝って尻の窄まりを濡らした。固い管の先端があてがわれ、ぽっかりと空いた隙間に挿入されていく。

「んん……ぅ……ぁ、ぁぁ……」

 痛みも摩擦もなかった。未知の異物に体内をまさぐられる感覚がむず痒い。堪らず身動ぎすると、腹の中に何かを吐き出された気がしてぎくりと身を固めた。

「あぅ、んんっ……う、あっあぁぁ……」

 ローションを大量に使われたときのように粘着質な音だ。あり得ない速度で緩む肉壁を押し広げながら、絶えず液体を注がれている。拡張と弛緩を強制され、その褒美とばかりに性感を育てられていく。普段と変わらない前戯であるはずが、まったく痛みを感じないせいか、既に絶頂の波が来はじめていた。

「あぁっ、も、や、め……ッああ!」

 腰が震える。臍の痙攣が止まらない。自分の身体だというのに、急速に制御を失っていく。腹の中は更なる快感を得ようと蠕動し、無機質な金属の管を必死に食い締める。するとたっぷり注がれていた粘性の液体が溢れ出し、内腿をどろりと伝う。神経の集まるそこに細やかな刺激が加わり、境界の上で必死に耐えていた俺は呆気なく果てた。

「や、ッんあぁ、あっあぁぁぁ……!」

 腹の底が脈打つ衝撃に、拘束されたままの肢体は大きく仰け反った。

「……な……んだ……これは……」

 己の身に起きた感覚が理解できず、俺は激しい痙攣を無抵抗に甘受する。
 それは局部で無理矢理高めさせられたときの絶頂によく似ていた。暴力的で、逃れようもなく、一方的に相手に支配されるという恐怖を植え付けられる、酷い感覚。神経の鈍い体内ではあり得ないはずの性的苦痛だ。しかし連中の管は、とっくに俺の性器から離れている。
 一体、俺の身体に何が起きている?

「は、ぁ……ッな、また……ぁ、ぁっ……」

 最後のセックスから一年近くのブランクが空いたからか。あるいは、俺を蹂躙する連中の動きに一切の痛みがないからか。否、そんな程度の話ではないだろう。

「く……う……」

 管の数が増えた。銜えるものの直径が太くなるにつれて律動も活発になり、耳障りな水音を立てながら肉壁に擦り付けてくる。固い金属の凹凸に前立腺を抉られるたび、先ほどと同じ激しい感覚に襲われた。
 この腹の中を満たす液体こそ、俺の五感を溶かす直接の原因なのだ。でなければ、普段挿入される男根よりも二回り以上太い異物を挿入されて、痛みを覚えないはずがない。

「ぅあ、ッあぐ……う、んんっ、う……く……」

 乱暴な突き上げに、臍の下の皮が一瞬だけ張る感覚がした。まさか腹を突き破る気ではないだろうかと緊張が走る。相手は人間でなく、力加減も未知数なのだ。おおいにあり得る。

「い、う、ん……は、あぁっ、う……!」

 それなのに、俺の身体はどうして快感に溺れたままなのだろうか。ごつごつと最奥をくじられる衝撃は、普段なら痛みを覚えるほどだ。それどころか、更なる苦痛を欲するかのように性感が高まっていく。もっと隙間を埋めてほしい。もっと腹の中を満たしてほしい。獣性に侵された思考が意識を塗りつぶしていく。
 やがて俺の願望を察知したかのように、腹の中の管が何かを吐き出した。射精より激しく量も多いそれは、肉壁という肉壁を刺激しながら虚を満たす。

「ぅく……んぁ、はぁぁ……ぁぁ……」

 腹が膨れていくような圧迫感を覚える。呼吸を阻害される苦しさの中から、ぬるま湯に浸かるような心地よさが滲み出す。充足感と多幸感に包まれた俺の吐く息は、ひどく湿り気を帯びたものになっていた。

「……ぁ、ぅ……んん……う……」

 液体の勢いは留まることを知らず、肉の壺を満たし続ける。徐々に下腹が張っていく感覚に比例し、意識は朦朧としていく。
 あんなにも激しかった刺激はいつの間にかぬるくなっていた。今度は焦れったさで見悶える羽目になる。
 それもそのはず。体内に収まった管たちは、液体の放出と共にその動きを止めてしまったのだ。

「はぁ……ぁ……ぁぁ……」

 身を捩り、自らの両脚を擦り合わせる。ささやかな摩擦からなけなしの快感を拾おうと試みるが、そこは粘液に塗れていて、ぬるりとした不快感があるだけだった。堪らなくなって腰をゆらめかす。
 拘束にしがみついていた両手に爪を立てて先を促そうともした。それでも連中は俺の腹を満たすばかりで動く気配がない。
 が、やがてそれも終わりを見せた。いよいよ腹も苦しくなってきたところで、液体の放出が止まったのである。

「……ッ、う……」

 やっとの思いで拘束から解放された。ゆっくりと床に下ろされた俺は、内蔵の圧迫感から逃れるため横様に転がる。
 そして無意識に両手を伸ばし――自身の腹に触れた。

「はっ……ッ!?」

 息を呑む。薄っぺらいはずのそこには、なだらかな隆起。当然、食事の摂りすぎで太ったわけではない。だが液体を詰め込まれたのだとしても、この異変は人体の構造としてあり得るのだろうか。

「ぐっ……ッおえ……」

 状況を理解しようとすればするほど、身体は事実を拒絶する。性的快感だったものは鳩尾の不快感に変わり、急速にせり上がる衝動を抑えきれず吐き出す。噎せて、嘔吐いて、胃の中を空にする勢いで痙攣を繰り返し――しかし出るのはほんの僅かな胃液ばかり。

「……はぅ……っ、ふ……」

 上が駄目なら下からならばどうか。俺は重い身体を捩って仰向けになり、周囲の目も憚らず両脚を開く。両手で腹を押さえながら、排泄するときのように息む。
 しかし中のものは一向に排出されない。それどころか、対処にもたついている内に腹はより膨らみを増していた。管の挿入からは既に開放されている。

「……ッま、さか……」

 自分は男である。そんな揺るぎようのない、揺るがせようのない事実を自らに言い聞かせなければならないほど、この身に起きる異変というものは信じがたいものだった。同時に、この夢のような現実を受け入れる他ないのだと思い知らされる。
 連中は、俺に対し何かを残すように迫っていた。それが一連の行為を示しているのなら、これこそが連中の云う儀式・・ということなのだろう。
 当然ながら初めての経験である。そして同じ経験をすることは二度とないだろう。聞きかじった程度の知識では様々な苦痛に例えられているのを知っているが、それらが自分の感覚と合致するとも限らない。未知数の予感に恐怖しても、既に宿ってしまったものを堕ろす術がない。

「そ……れ、で……おまえ、たち、の……気が、済む……なら……」

 目を閉じる。力で敵わなかった相手に、これ以上の抵抗は無意味な気がした。ならば取るべき行動はただ一つ。連中の望みを叶えることだ。浅くなる呼吸を整え、身体の力を極力抜いて体力を温存させながら、来たるべき時を待つ。
 臨月の妊婦のように膨張を続ける腹の感触に甘い痺れを感じても、それはただの生理現象だと自分に言い聞かせて――

 

「……ぁ……はぁ……」
 それから、どれだけの時間が経っただろう。数時間かも知れないし、数分しか経っていない気もする。一帯に闇が広がるばかりの空間では、時という概念が極端に薄い。途方もない暗所で発狂せずにいられたのは、自分が一人ではないということと、時間の経過を忘れさせるほどの甘い刺激に苛まれ続けていたからだ。あるいは、自覚がないだけでとっくに狂ったのかも知れない。

「ぁ……ぁ……ぁぅ……」

 とめどなく膨れ続ける腹は、今や臨月の妊婦を超えていた。内臓を押し潰されているような圧迫感が絶えず襲い、ろくに呼吸もできない。にも拘わらず、緩みっぱなしの口からは温い性感に溺れるような声が垂れ流されている。苦しいはずが、堪らなく気持ちがいい。二律背反な感覚が混ざり、都合のいい解釈へと歪みきっていた。
 これ以上膨張すれば、俺の腹は間違いなく破れてしまうだろう。朦朧とする思考が導き出した結論に、身体はむしろ陶酔するように甘く痺れた。
 いっそはちきれてしまうまで、胎を満たしてほしい。そんな欲が首をもたげる。
 だがそれも、ついに終わりが来てしまった。

「……う、ッ……んんっ」

 腹が大きく脈打つ。するとそれまで静かだった中が激しく蠢く。
 俺は咄嗟に産まれる・・・・と思った。母親になるつもりなど毛頭ないが、この状況を示す言葉としてそれが最も適当だと直感したのだ。

「んあっ、ぁ、ひ、あぁぁっ……!」

 未知のものが、外へ出ようと暴れている。体内のあらゆる場所を襲う衝撃は強烈な快感だ。まるで絶頂を繰り返すかのように腰が跳ねる。

『頃合イダナ』
『ハヤク押サエ付ケロ』
『暴レルナ』

 それまでずっと静観していた連中は、管を伸ばして再び俺を捕らえた。四肢を拘束し、両脚を持ち上げて大きく広げる。両手は、掴んで力を入れやすいようにそれぞれの手首に絡み付いた。

「ぁあぁっ、ああ、あ、ぁ、ぁ……んぁああ!」

 尻が濡れていく。それは尻から吹き出る液体によるもので、いわゆる破水に近い現象だと思われた。腹の中が急激に収縮し、中のものがゆっくりと下に降りてくる。産道と化した腸を通り、括約筋を押し広げ、ミチミチと音を立てて外へ顔を出す。

「はぁぁぁ……ふ、ううぅぅぅうぅぅ……!」

 それは本能にも近い無意識だった。抗いがたい排泄欲のままに息むと、それは徐々に排出されていく。そして出産を終えると、入れ替わりに押し寄せてくる疲労にしばらく身を任せていた。
 だが――

「……はぁっ……ッ、まだ……ッ!」

 腹の中が空になることはなかった。再び産気づく身体に眉を顰める。善がり狂いたくなる快感がやってきて、がくがくと身悶えている内に産道を通って降りてくるのだ。

「くっ……うぅぅぅぅぁああぁぁぁ!」

 腰が浮く。尻が床から離れるのと同時に、それは排出された。粘体が落下するような音を立てて落ちる。そして体力を使い果たした俺も、闇の床に沈んで四肢を投げ出す。意識すら持っていかれたかのような虚脱感と、肺腑の自由が戻ってきた開放感に呆然とする。辺りに響く荒い呼吸音が自分のものだと認識できない。
 瞼が開けていられない。

『儀式ハ終ワッタ』
『帰レ』
『オマエハ用済ミダ』

 連中の声が遠くなっていく。無機質な合成音は、彼らの望みを果たした俺を労うことはなかった。
 虚空に投げ出していた視線を落とす。俺の体内から産み落とされたものの姿を見るつもりが、緩慢に蠢く影しかわからない。
 瞼が落ちる。視界を閉ざしても、変わらない闇があるだけ。
 それでも、自身の意識が暗転していくのだけはわかった。

 ――――――
 ――――
 ――

「……ん……」

 雀の囀りが聞こえる。
 じんわりと熱を感じる瞼を持ち上げると、見慣れた天井が俺を出迎えた。
 微睡みの余韻が残る上体をゆっくりと起こす。まだ心地好いベッドの中に浸っていたかったが、頬に感じる陽光の温度がそれを許さない。枕元に視線を遣ると、その先の目覚まし時計は、まもなく正午を告げようとしていた。
 覚束ない足取りでリビングに入ると、書類とノートパソコンを交互に見ながら顔を顰める翔がいた。しかし俺の足音に気付いた途端、その顔はすぐさま笑顔に変わる。

「おはよう、兄さん」
「すまん、寝過ごした」

 翔の仕事の手が止まった。かぶりを振り「だいじょうぶ」と云って笑みを深める。

「昨日は打ち合わせ続きで疲れちゃったもんね。これからご飯の支度するから、兄さんは顔洗ってきなよ」
「ああ、頼んだ」

 ガタンと椅子を揺らしながら翔は立ち上がった。その音を合図に、俺も踵を返してリビングから出て行く。来た道を半ばほど引き返し、寝室の斜向かいにある洗面所へ足を踏み入れた。

「……」

 ぼんやりと思考が鈍いままでも、日々のルーティーンをこなすことは可能だ。正解を吟味することなく自分の歯ブラシと歯磨き粉を手に取り、一定量の中身を出して口の中へ放り込む。エナメル質を研磨する音を立てながら、手持ち無沙汰な視線を据わりのいい場所へうろつかせるのだ。
 今日は自分の顔面ではない気がした。目線を上げようにも、首のところで羞恥心が込み上げてきて止まってしまう。それよりももっと、下の――

「……ん?」

 緩んだゴムによって僅かにずり落ちるズボンの辺り。小さく捲れた合わせ目の間から、自身の下腹が覗く。そこに云いようのない違和感を覚え、俺は歯を磨く手を止めた。
 自由な左手でそこに触れ、ひと撫でする。普段と変わらない感触に安堵しかけて、ならばこの違和感の正体は何なのかと疑問が残った。パジャマの裾を掴み、たくし上げていくと――

「これは……」

 下生えの辺りから放射状に走る、血管のような赤い斑点。
 まるで何かの痕のような痣がそこにあった。

「はっ……」
 心臓が大きく拍動する。その衝撃に息を詰めると、突如甘く痺れるような感覚が走った。既視感のあるそれだが、弟と生活するだけの自宅で生じたのは初めてだ。

「……ぁ……」

 神経が鋭敏になり、パジャマが肌に触れる感覚だけでも痺れていく。その痺れは、やがて昼間に似つかわしくない欲へと形を変えて俺を苛むだろう。そんな事態だけは避けねばならないのに――どうして、目が、離せない?
 吸い込まれるままそこへ釘付けになっていると、徐々に両脚の力が抜けていった。洗面台にしがみつくも虚しく、ズルズルと床に沈んでいく。そして、腰が抜けたかのような姿勢で座り込む。
 それから、洗面所から一向に出てこない俺を心配して翔がやってくるまで、原因不明の疼きに苛まれ続ける羽目になった。

 ――痣が脈打った。