図らずも、僕たち三人が同じ時間を過ごすことは殆どなかった。同じ学年で、同じ寮で、同じ熱量でデュエルと向き合ってても、合せようとした視線が交わることはなかった。熱量は同じでも、向ける矢印が違ったのだ。
藤原は自分の孤独を埋めるためだった。
亮はそれしか生きる道がなかったからだった。
僕はそれが人を笑顔にできる最善の方法だと思ったからだった。
誰もがそれぞれの炎の色を見ず、ただその温度の凄まじさに惹かれて僕らは出会った。常に肩を並べて歩いて、教室の座席も隣同士、放課後の待ち合わせは何も言わなくても購買部のイートインスペースで、面子が揃うと森の中の秘密基地へ、ひたすらデュエルに明け暮れる。
僕ら三人は、殆どが阿吽の呼吸で動き回れるほどの仲だった――そのはずだった。
以降の顛末は話すまでもない。早い話が、僕たちの絆を引き裂いたのは藤原の弱みにつけ込んだダークネスだったのだ。けれどその騒ぎも落ち着いて、ようやく待ちに待った平穏と三人の時間に集中することができる。とはいえ半年もないけれど、だからこそ僕たちは、他の人たちよりも大切に一日一日を過ごさなければならない。
◆
終業のチャイムが校舎一帯に響き渡ると、教卓に視線を落としていた教諭の顔が上がる。教科書やノートを片付けながら「今日はここまで」という教壇からの合図を聞きつけた生徒達は、チャイムが鳴り終わる前にぞろぞろと席を立った。
教室という檻から解き放たれ自由の身となった年下の同輩達。逸る気持ちが全身から溢れ出しているその姿はとても若々しく、瑞々しい。可愛い後輩を眺めるような愛おしさが込み上げ、思わず頬が緩んだ。
「それじゃあね、兄さん」
「ああ」
視界の端でてきぱきと片付けを進めていた明日香が徐に席を立つ。このあと大事な予定を控えているらしく、そのまま僕を待つことなく教室を後にして行った。僕も今から大切な親友に向けての催しの準備を進めなければならない。
まず足を運んだのは購買部だ。本当は島外へ出て童実野町に行きたかったのだけれど、学生である以上は贅沢も言っていられない。きっと彼のことだから、僕の事情を汲んでくれるだろう。
放課後の購買部は昼休みに負けじと劣らずの賑わいを見せる。入って左奥にある少ないカフェスペースでは、競争に勝ち取ったグループが思い思いの飲み物に舌を湿らせながら談笑に興じていた。話題の大半はデュエルに関するものが多く、ある人は閃いたコンボを語っていたり、またある人は持ち込んだデッキを広げて戦術を練っている。彼らの瞳はキラキラとした希望に満ちている。巣立ちのときを待つ雛鳥が大空に純然な憧れを抱くような眩しさだ。そこには、現実が齎す残虐性など微塵も見えていないようだった。やはり少し、羨ましい。
思わず足を止めて子供達の表情を眺めていると、人だかりの奥で浮いた人影を見つけた。白を基調とした制服、抜きん出た新緑の頭頂部。ダークネスによって長らく学園から姿を消していた、僕の親友のひとりである藤原優介だった。
「おーい! ふじわらー!」
彼は僕の声に気付くと、猫っ毛をふわりと踊らせながら振り返った。自分が呼ばれるだなんて想像すらしていなかったらしく、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。同じ歳だというのに、幼く見える彼の相貌がどうにもおかしくて肩を揺らしていると、彼は眉間に皺を寄せて僕のところにやってきてくれた。
「人の顔を見て笑うなんて失礼だな」
「ごめんごめん。君があんまり可愛らしい顔を見せてくれるものだから」
「なんだよそれ……こっちが恥ずかしくなるだろ」
僕の嘘偽りない真っ直ぐな好意は、しかし藤原には刺激が強いらしい。険しい顔がみるみる赤らんでいく様を見て、やはり笑みを禁じ得なかった。
挨拶代わりの戯れもそこそこに、僕は「そういえば」と前置きをしてここへ来た目的を藤原に話す。すると、彼は先程のような驚愕を浮かべて僕の科白を鸚鵡返しした。
「丸藤の誕生日だって?」
予想通りの反応だった。何故なら藤原は、一年の半分も過ごさない内にいなくなってしまったからだ。当然、僕の誕生日も知らなければ、亮の誕生日も知らない。藤原は、そのまま顎に手を当てて考え込む仕草を取る。不味いな、何も用意してないぞ、と零れ落ちる独り言を拾い上げて、一緒に選びに行こうと提案した。
「丁度今から買いに行くところだったし、藤原もどうだい?」
「俺なんかが、いいのか?」
「もちろん! 君も選んでくれたと知れば、亮も喜ぶよ」
歯を見せながらそう言えば、不安げに揺れていた瞳がピタリと止んだ。「それなら……」と少しだけはにかむように微笑む藤原の手を取り、イートインスペースを後にした。
寂しがり屋な彼に必要なのは、行動の先には明るい未来が待っているという明確な肯定だ。好意や、存在の肯定も、言葉と音と態度の三つが揃わないと伝わらない。誰もが当たり前だと認識している常識。けれど、その通りに実行できている人は意外と少ない。僕も亮もそうだった。心の栄養とも言われるこの行動が、藤原には特に欠乏していることは重々理解していたのに、目を向けてやれなかった。
少しだけ後ろめたい気持ちに心を曇らせつつも、藤原と言葉を交わしながら目的の棚に辿り着く。生徒も疎らなここは、上質な素材で作られたデュエルアクセサリーのコーナーだ。
「それにしても、卒業生の丸藤に贈るプレゼントが購買部で大丈夫なのか?」
藤原の指摘は尤もだった。何となく思考の片隅で痼りを生み出していたものの正体を言い当てられて、思わず唸る。腕を組み「そうだよねぇ」と形ばかりの同意を口にしたけれど、代替となる妙案は思いつかない。しかも、丸藤亮とデュエルが強固に結びついているために気付かずにいたが、そもそも亮はまだデュエルができる身体ではない。これではプレゼントにならないのではないだろうか。
「あ……そういえば」
ショーケースの前に立ち尽くしたまま沈黙すること数分、徐に藤原がぽつりと切り出した。何か閃いたような声音に、伏せていた顔を上げる。
「この前、丸藤のところへお見舞いに行ったときに、購買のラインナップが変わったって話をしたんだ」
なるほど。確かに四年ほどの期間があれば、新作パックやアクセサリーのバリエーションも変わっているだろう。
「いつもなら黙って聞いてる丸藤が、ふとデッキケースの話をしたら少しだけ目つきが変わったんだよ」
「それって……」
「ああ、多分そのケースに興味が湧いたんだと思う。だが――」
「すごいじゃないか! さすがだよ!」
藤原、と僕は公共の場であることも忘れて叫ぶ。両肩を掴んで、ありがとう、ありがとうと目一杯の喜びを伝えた。「いたい」との抗議に慌てて手を離し、亮が興味を示したというケースがどれか尋ねる。それはすぐ傍にあった。
黒を基調とした革製のデッキケースだった。しかし真っ黒という訳ではなく、蓋の部分は白い。輪郭をなぞるように縁の部分に色が施されており、黒地には赤、白地には金が走っていた。
亮が持つには些か派手な印象を受けるそれ。
けれど僕の口から零れたのは「かっこいい」という賛辞だった。
どうしてか、彼が腰に携えている姿が容易に想像できる。
「いいよ……これにしよう。亮の贈り物にぴったりだ!」
デュエル中のような興奮が急速に湧き上がっていく。ぐつぐつと煮えたぎる血液に温められた二酸化炭素が呼気となって僕の周囲を舞う。ひたすらに高揚する心は天井を知らず、ついには身体までも動き出す。ピョンピョンと踊り、駆り立てられるようにトメさんを呼び、ショーケースの扉を開けてもらった。
ガラス越しから眺めていたものが掌の上に乗る。控えめな重量を感じ、興奮の堆積速度が増した。すごい、かっこいい、と馬鹿の一つ覚えみたく同じ科白を繰り返す。それ以外の言葉が思い付かないのだ。眺める角度を変える度、加速度的に飽和値に迫ってくる熱量。やがてそれが溢れ出す瞬間が恐ろしくなった僕は、藤原にケースを手渡した。
「とっても素敵なデザインだと思うよ。藤原はどうだい?」
だなんて、平静に戻ろうとして。僕の見え透いた見栄などお見通しだろうに、羞恥心が邪魔をしてくるのだ。
僕からケースを受け取った藤原は、同じように様々な角度から意匠を眺めながら次第にそのアメジスト色の虹彩が煌めかせていった。僕とは違う表現の高揚がそこに表れている。そして、徐々に締まりのなくなりつつある唇からは僕と同じ感嘆の科白が漏れ出ていた。
「フフ……藤原も気に入ったみたいだね。それじゃあ、決まりだ」
「本当にいいのか? 提案しておいて何だが、あまり丸藤らしい色味じゃない気がするんだが」
「当の亮が興味を示したんだろ? なら何も問題ないじゃないか!」
「そ……っか。吹雪が言うなら、じゃあ……」
「よし! それなら善は急げだ!」
両者意見が一致したところで、僕はケースを持って藤原の手を引いた。レジで会計を済ませながらラッピングもお願いする。焦ったい待ち時間にワクワクが止まらなかった。
やがて簡素ながらも綺麗に袋詰めされたプレゼントをトメさんから受け取り、購買部を後にした。
◆
このまま真っ直ぐ亮のいる施設まで向かうのかと思いきや、突然藤原が僕の部屋に忘れ物をしたと言い出した。それがないと困るから、とやけに強い剣幕で圧されて、一旦オベリスク・ブルー寮へ寄る。どんなものを忘れたのか判らないが、親友の大切なものとあらば手伝わない選択肢はない。僕より少しだけ先を歩く藤原の落ち着きのない背中に微笑ましさを覚える。見慣れた扉の前に立ち、鍵穴代わりのパネルに自らのIDを表示させたPDAを翳す。ピ、という小気味いい音を立てて扉の施錠が解かれた。普段通りの手つきでドアノブに手をかけ、捻る。
すると部屋には何があったと思う?
「思っていたより遅かったな」
この心地よい低音の持ち主は、僕のものでも、ましてや藤原のものでもない。
「り、亮……キミ、どうやってここに……?」
しかもこの覚えのある後頭部。
そう、これから僕と藤原で祝いに行こうとしていた丸藤亮本人が、何故か僕の部屋にいたのだ。
亮は腰かけていたソファーからゆっくりと立ち上がり、穏やかな笑みを湛えて僕と向き合う。
「藤原が俺のところへ来たときに、吹雪の誕生日のことを話したんだ。これはつまり、お前へのサプライズというやつだな」
それはまるで悪戯が成功した子供のような表情だった。あまりにも突飛な展開に目を白黒させていると、今度は僕の背後からも声が飛んでくる。
「丸藤には窓から忍び込んで待機してもらってたんだ。吹雪ってば、相変わらず窓を開けっぱなしにしておく癖が残ってたんだな」
「ここへは脚立で来た。安心しろ」
「いや、安心するとこ、そこじゃないでしょ」
そうか、藤原もグルだったのか。購買部での彼を思い返すと、確かに亮の誕生日を聞かされたときはやけに反応が大袈裟だったような気がするし、僕の部屋に忘れ物をしたと言ったのもまるで身に覚えがなかった。なるほど、全てはこれのためだったらしい。一杯食わされたなぁと、後頭部を掻きながら笑う。
「誕生日おめでとう、吹雪」
ふた色の声が、僕の誕生を祝してくれた。これでやっと三人揃ったな、と誰かが言った。僕の中で、何でもない日が特別な日に、そして特別な日が無二の日に変わっていく。クラッカーもなければ、賑やかな飾り付けもご馳走もない。可視化された祝祭の象徴がなくとも、抱え切れないほどの喜びが僕の頭上に降り注いだ。
「ふたりとも……ありがとう……」
飽和する歓喜は涙となって瞼の裏を濡らし、やがて眦から溢れ伝う。お礼を科白を口にしているのに、その相手の顔をまともに見ることができないなんて情けない。
「お、おい……そんな泣かなくてもいいだろう……」
「まあ、ずっとすれ違っていたからな。無理もない」
ふたりの声が近くから聞こえた。このまま抱きしめる、なんて直接的なスキンシップが苦手な彼らにとって、これが精一杯の接近だろうと思った。手を伸ばせば届く距離まで来てくれたのはとても嬉しい。
だから、思いっきり両手を広げて僕の懐に引き込んでやった。
「ぅ、わっ!」
「……ッ!?」
そして目一杯酸素を吸い込んだ声で、もう一度彼らに謝辞を宣言する。
「藤原、亮、ふたり共本当にありがとう!」
赤みを増した空が、僕らの道の交わりを祝しているような気がした。