ぼくのなつやすみ

 日が高く長くなり始めた頃、真っ白い彼はやってくる。

 草が青々と風に揺られている。閑散とした集落を包む陽気が、段々と熱気を帯びるようになってきた。気温が僕らの体温に近付きつつあるせいで、毎日汗が絶えない。
 とても嫌な感触の季節だけれど、僕は夏が一番好きだ。周りの奴に「一番好きな季節は何か」と聞かれれば、迷いなくそう答えるだろう。不快な要素が沢山詰まっているけれど、その分を差し引いてもお釣りが来るくらい、とても素敵なことが起こるからだ。

 日が高くなり汗が滲み出す頃、彼はやってくる。

 聞き慣れないエンジン音が窓から差し込む。暑さで微睡んでいた僕の意識は一気に覚醒した。部屋から飛び出し、階段を駆け下り、両親の呼び声を無視して外に出る。二軒先にある大きな屋敷の前では、ワンボックスカーの後ろで荷下ろしする夫婦と、その傍らで暇そうにしている彼がいた。
「サリエリっ!」
 一瞬で夏バテが吹き飛んだ僕は駆けてゆく。存外大きな声が出てしまっていたため、彼はびくりと震えた。赤い瞳がこちらを向く。すると太陽に反射する水面のようにキラキラと輝かせて、彼も僕の許へ駆け寄ってきた。
「アマデウス!」
「久しぶり! 元気だったかい?」
「もちろんだとも! アマデウスこそ元気そうでよかった」
 一年越しの再会。手を取り合った僕らは、飛び跳ねながらくるくる回る。今年も、彼は夏を引き連れて僕の許へ逢いに来てくれたのだ。
「あら、ヴォルフガングくん。大きくなったわねぇ」
「随分と逞しくなってきたじゃないか」
「おばさん、おじさん、久しぶり!」
 これから一ヶ月、僕とサリエリで最高の夏休みを過ごすのだ。今日は何して過ごそうか。明日はどんな曲を演奏しようか。彼は何を歌ってくれるだろうか。どこへ行こうか。
 僕は胸を期待に胸が躍った。

   ◆

「アマデウス、図書館へ行きたい」
 サリエリの家でピアノに興じていると、不意に鍵盤を操る手を止めて彼がぽつりと呟いた。
「げ、」
 いやだと言わなかった僕を誰か褒めてほしい。
「それってもしかして……アイツ?」
「それ以外に誰がいるんだ」
 そうだよなあ。僕は目を逸らして窓の景色を眺める。
 この集落には学校も病院もない。けれど何故か図書館だけはあるという不思議な町だ。森の奥深くでぽつんと建つ廃墟のような建物。サリエリはそこで働く司書に会いたいらしい。
「夏休みはまだ始まったばっかだぜ? 別に急ぐことないだろ」
「せっかく世話になるのだから、ごあいさつは必要だろう」
「そうだけど……」
 まったく、律儀なサリエリらしい。あんな奴に会ったところで大した世話になんかならないって言うのに、行かないと気が済まないのだ。しかも彼は結構せっかちだ。だから多分「早く行こう」とか何とか言い出すだろう。
「なら、暗くならないうちに早く行こう」
 ほらね。一度思い立ったら成し遂げるまで粘るのが彼だ。きっと僕が今更「いやだ」と言っても無駄だろう。僕はキラキラと光る赤い瞳に視線を戻して彼の提案を呑んだ。おばさんたちに外出の意を伝えると、サリエリは着替えのために姿を消した。
 昼食を食べ終えてからそんなに経っていないため、外はかなりの日差しだろう。白くて太陽に弱いサリエリはすぐにバテてしまうから大丈夫かと心配になる。
 サリエリは割とすぐに戻ってきた。男もののセーラー服の上には長袖のカーディガンを羽織り、短パンだった下半身は長ズボンに替わっている。頭にはツバの広い麦わら帽子を被っていて完全防備の状態だ。よっぽど行きたいのだろう。気は乗らないけれど行くしかない。
「またせた」
 口調は相変わらず堅苦しいのに、表情はとても嬉しそうに煌めいている。ああ、そういう顔をされると弱いんだよなあ。行きたくない僕の心は呆気なく折れ、仲良く手をつなぎ合って出かけて行く。
 年上だからって大人ぶった(実際大人なのだけれど)澄まし顔を思い出して、ちょっと腹が立ってきた。僕はアイツのことが嫌いだけれど、サリエリはそうでもないらしい。寧ろかなり懐いているようにも見える。サリエリはきっとアイツみたいにおとなのよゆう・・・・・・・がある人の方が好みなのだろう。将来は僕がサリエリをお嫁さんにする予定なのに、とても悔しい。僕がもっと年上だったなら。それこそ、アイツと同じくらいの歳にでもなれば、そのおとなのよゆう・・・・・・・とやらは生まれるのだろうか。ものすごく先の話だからよくわからないけれど。
「着いたぞ」
 サリエリから到着の知らせを聞いて我に返る。悶々としている間にあの廃墟のような図書館に辿り着いていたらしい。よく転けなかったと思う。
「エドモン!」
 二階の窓を見上げると、やはりアイツがいた。サリエリも見つけたらしく、喜色満面の声を響かせて僕の手を離れて行く。あーあ、せっかく手をつないでいたのに。別に何かされた訳じゃないけれどなんだかムカついて、僕は頬を膨らませてアイツを睨み付ける。すると何を思ったのか、アイツは一瞬肩をすくめると徐に立ち上がり、くるりと向きを変えて窓から離れて行ってしまった。きっとまた甘い菓子でサリエリを出迎えるに違いない。
 こうしてはいられない。アイツに取られてしまう前に僕がサリエリを守るんだ。
 既に館の中へ入って行ったサリエリを追いかけに、僕も大きな扉の向こうへ走っていった。