54分の珍騒動

 滅多にかかることのないバラエティー番組のオファーを受けたと思えば、それは番宣と抱き合わせのトーク番組だった。
 連続ドラマの収録でよく出入りするようになったテレビ局にて。警備員とは顔馴染みになるほどで、普段より早い時間帯に局を訪れたふたりは「随分早いんですね」と言われていた。
 マネージャーを務めている丸藤翔は笑いながら「今日はドラマじゃないんですよ」と答え、対照的に主賓である丸藤亮は軽く会釈しただけでそそくさと去って行く。
 勝手知ったる建物ではあるが、今回は撮影する番組が違う。普段と違う廊下の景色に、亮の表情はいつになく強張っていた。

「――これで番組の流れは以上になります。ここまでで何かわからない点とかありますか?」
「この『ビデオレター』という項目は?」
「ああそれは、丸藤さんと親しい方からのサプライズメッセージになります。どんな人かは収録まで楽しみにしててください」
「わかりました。ありがとうございます」
 通された楽屋での打ち合わせが終わる。番組の中に身体を張るような箇所がないため、あっという間だった。台本を閉じ「じゃあ本番前になったら呼びに行きますね」と残してスタッフが出て行く。
 その背中を無表情で一瞥し、扉が完全に閉まった所で再び台本に目を落とした。
「……ふぅ……」
 亮の眉間に薄く皺が刻まれる。
「苦手なのは解ってるけど、仕事増やすチャンスなんだから我慢してよね」
 一連の姿を見ていた翔は、予め淹れておいた煎茶を出しながら苦笑した。マネージャーである翔がこのオファーを持ち込んだ張本人だというのに、さも他人事と言わんばかりの態度である。新人俳優である亮を売り込まなければならないため、しかたのないことではあるのだが。
「……アイツもゲストなのか……」
 何せ相手が悪い。これは完全なる私情であるのは自覚しているため、敢えて言い返すことはしなかった。
 しかし、表紙に大きく印刷された文字に再び憂鬱な気分になる。
 よほど苦手なタレントの名前でもあるのかと気になった翔が、亮の手元を覗き込む。

『今話題の若手イケメン俳優! 天上院吹雪、丸藤亮の素顔に迫る!』

「あー……なるほどね」
「余計なことを言わなければいいが……」
「たぶん、大丈夫だと思うよ。お兄さんよりよっぽど口が上手いから」
 憐れ、兄よ。翔は心の中で合掌する。
 しかし恐らく、亮の懸念はそこではない。寧ろ口が回るからこそ、晒したくないプライベートについて匂わせるような発言をするのではないかという方が強いだろう。天上院吹雪という男は、嘘は吐かないが、代わりに含みを持たせる癖があるのだ。

 公表していないが、亮はゲイである。吹雪とは、現在撮影中のドラマで共演したのが切欠で交際を始めたのだ。オフの日は互いの家へ行ったり、行きつけの居酒屋へ飲みに行ったり、はたまた趣味のカードゲームに興じたりする。それなりな頻度で逢瀬を重ねているはずなのだが、男同士故かこれまで週刊誌などにリークされたことは一度もない。つまり、極めて平和にプライベートの時間を過ごしてきたのだ。
 それが、うっかり受けてしまったこのトーク番組によって、崩落しかねない危機に瀕している。自ら面倒毎を持ち込む趣味はお互いにないため、きっと杞憂に終わるだろうが、結果面倒になった場合の態度こそ亮が吹雪に懸念を覚える所以だった。
 吹雪は外聞というものにあまり頓着しない。その華やかな見た目から自分を魅せることには余念がないが、その副産物として生まれた偏見には見向きもしないのだ。曰く「勘違いしたいコはさせておけばいいじゃない」らしい。
 亮自身も、どちらかと言えば他人の評価は気にしないタイプだ。だがそれは自分の生活が守られていることが前提である。仮にこの番組で自分がゲイだと知れれば、これまで収穫がないと諦めていたパパラッチが一斉に活発化するだろう。
 連中から逃げ回る未来が脳裏を過る。そうすれば、自分のみならず恋人である吹雪、そしてマネージャー兼兄弟である翔にまで影響が出てしまう。
「……今からでも断れないか……?」
 いよいよ頭を抱えだす亮。無理だと解っていても、この科白を噤むことはできなかった。
 これにはさしもの翔も嘆息する。
「無茶言わないでよ。どんな想像してるか知らないけど、受けた以上はちゃんと出なきゃ。何かあったら僕がなんとかするから」
「ああ……そうだな」
 腹を括るしかない。亮は一度目を伏せてから再び台本に目を通す。雑念を振り払うため、極力『吹雪』の文字を見ないようにしながら。
 そうして静かに時間を潰し始めて、三十分ほどが経過した。翔が出したお茶は既に空になっている。
「じゃあ……そろそろ楽屋挨拶へ行こう」
 茶器を下げながら、翔は時間を告げた。席を立ち、軽く身なりを整えて、亮はゆっくりとドアノブに手をかける。そこでふと止まった。

「翔、吹雪の所へは行かなくてもいいな?」
「ダメに決まってるだろ。順番は最後でもいいけど、共演者なんだからちゃんと挨拶しなきゃ」
「……そうか」
「それに、吹雪さんだけ挨拶に行かないとか、それこそ変な噂が立つと思うんだけど?」
「……」

 憂鬱だらけの収録まで残り二時間。
 後にビデオレターで亮が二度目のショックを受けることになるのは、また別の話である。