「っ、ぅえ……げほっ、ごほっ、ぉご」
トイレに駆け込んだ。
洗面台に顔を突っ込むと、逆流する胃液が咳と共に垂れてくる。
無様な声がタイル張りの部屋に響く。
饐えた臭いが吐き気をより増幅させる。
震える手で蛇口を捻り、半ば非常識な勢いで水を流すと、臭いは少しだけマシになった。
「サリエリ……?」
足音が聞こえる。
私を追いかけてきたらしいアマデウスが、声を掛けに来たのだ。振り返る気力はなかったが、控えめな声音に、私を心配しているのが解った。
彼の手が、私の背を擦る。
「ねえ、君、まさか……」
嗚呼――そうだ。
吐き気が漸く収まり、少しずつ冷静になり始めた脳内で、ある結論に達する。
私の身に起きた異常事態。
たしか、食べ物の匂いで吐き気を催すことがあるらしいというそれ。
「……はぁ、はぁはぁ」
まだ顔は上げられず、返事もできない。
「おめでとう、サリエリ」
アマデウスは喜んでいた。
私は蛇口を閉め、その手を下腹部へ持っていく。
ひと撫ですると、急速に自覚した。
長年の悲願だった子どもを漸く、男の身体のまま授かることができたのだと。
強張っていた身体が弛緩し、崩れ落ちる。それをアマデウスが抱き止め、医務室へ連れて行ってくれた。
検査の結果、妊娠が確定した。
暫くは症状が続くから安静にしているようにと言われ、そのまま解放された。
アマデウスと共に寝室へ戻る。私はベッドに腰掛けると、彼は向かいの丸椅子を引き寄せた。浅く腰掛け、膝の下で手を組む。前傾姿勢なまま顔を上げると、自然と上目使いになった。
「結果は?」
アマデウスの声は浮ついていた。
「懐妊だ。先程の不調は、妊娠の初期症状によるものらしい」
「ほんとう!? じゃあやっぱり無事に着床したんだね!」
「ああ。一先ず、第一関門クリア、というところだな」
アマデウスの表情が華やぐ。
彼もこの研究にはかなり力を入れていた。現状予想できる範囲で難所とされていたポイントを通過できたのを知り、安堵したのだろう。椅子から身を乗り出し、私の手を包み取り、愛おしげに撫でる。
「よかった……本当によかった……!」
彼はずっと、それを繰り返していた。