男の身体を持ちながら、女と同じように妊娠出産できるよう研究する機関がある。
その機関に、私は所属していた。
男性妊娠の技術そのものは、臓器移植に分類される〝子宮移植〟のお陰で一度実用化された。
しかし、ドナー探しで何年と手術が行えないことに加え、術後の拒絶反応が懸念されること、そして手術の費用が膨大にかかることが問題として挙げられており、まだ完全な普及には至っていない。
私が所属する私設研究所はその課題を克服するため、子宮の代わりとなる〝借り腹〟の研究を続けている。母体となる人間の細胞を用いて作るそれが成功すれば、拒絶反応で怯える心配も、ドナーを待ち続ける必要もなくなるのだ。
この研究の成功は、私の悲願でもある。
私は、所謂〝同性愛者〟に分類される男だ。子の基となる種を蒔くことはできても、パートナーから受けた種から子を作り出すことは、どんなに腹の中に精子を留めていても叶わない。
私は、男でありながら、女としての欲求を一際強く持っていた。ある意味特権とも言える〝妊娠〟という行為が羨ましい。
どんなにパートナーと結ばれようとも、私では互いの遺伝子を後世に残すことができないのだ。
これ以上の絶望はあるだろうか。
だからこそ私は、この研究に注力してきたのだ。
そして今、漸く臨床実験に漕ぎつけることができたのである。
被験者選定の会議では、真っ先に手を挙げた。何故なら、研究チームの要であるアマデウスに白羽の矢が立ちそうだったからだ。
アマデウスは、研究所内で最も若い研究員だ。歳は二十六であるため、確かに適任と言えば適任である。
だが、実験の確実性を持たせるため、そして妊娠後期になると被験者の活動が制限されることによるリスクも鑑みて、私は先輩研究員たちに「もっと高齢の被験者が望ましい」と進言した。アマデウスは、我々研究チームの中で最も成果を残している逸材だったからだ。
提案はすんなり通った。そして妊娠率の限界と言われている三十五歳以内で、アマデウスの次に若い私が選ばれたのだ。
数日後、借り腹作成が進められた。完成すると、体内に仕込み、無事定着できたか様子を見る。
数日後、いよいよ妊娠実験の段階に入った。
父親は精子バンクに登録されている男のものを利用した。最初は職員の精子を用いる話が上がったが、愛着が芽生えて研究が進まなくなる懸念があったので却下された。
体外受精によって作成された受精卵を肛門から挿入し、借り腹へと到達させる。
これで一先ず処置は終わった。後はきちんと着床し、めでたく懐妊するのを待つだけだ。
休憩のため自室へ戻ると、洗面台へ行き上衣を脱いだ。
鏡に映る自分。
視線は白くて平らな腹部を捉えていた。
右手を持ち上げ、そろりと撫でる。
この実験で出産を行う際は帝王切開になる。膣の代わりとしている肛門では柔軟性が足りず、産道にできないからだ。
その事実を知った時――私は、不謹慎と承知していながら心の中で歓喜した。
腹を開くということは、その痕が傷として残るということ。
つまり、長年渇望して止まなかった男性妊娠研究の成功を意味するのだ。
未だ何もない薄い腹が生命を宿し、身動きがとれぬほどに大きく膨らみ、出産のため開腹した痕を刻む姿を幻視する。
「……っ」
背筋を、甘い痺れが走るのを感じて、震えた。
指先に力が入る。
まだ何もない下腹が、ひくりと痙攣する。
「はぁ……」
まるで性交渉の前戯をされているかのようなもどかしさ。
何も始まっていないのに、大した妄想力だと、我ながらに恐ろしい。
このまま眺め続けていたら、そのうちもっと倒錯的な気分になりかねない。
私は脱いだ衣服を纏い直し、部屋を後にした。
「おかえり、サリエリ。顔色はよさそうだね」
研究室に戻ると、アマデウスひとりだった。
「他の者はどうした?」
「君の処置が終わったら記録したデータの解析がしたいって出て行ったよ」
「お前は行かなかったのか?」
「うん。だって戻ったときに誰もいないと寂しいじゃないか」
洋梨顔が、悪戯っぽく綻ぶ。
そういえばこの男は、そういう奴だった。
「まったく……。なら、連中が戻るまでに、まとめ切れてない資料を打ち込んでしまおう」
「りょーかい」
ひとりでも十分に研究を進めることができるほどの、天才的な頭脳を持つアマデウス。
それ故、周囲にあまり馴染もうとしない彼が何故、私などに構うのだろう。
その軽薄な笑顔の下にどんなどす黒い想いを隠しているのか、気になって仕方がない。
或いは、そんな感情を持つまでもなく、単に利用しやすい相手だから、近付いているだけなのか。
彼のことが、未だによく解らない。