焼き芋

 たとえば温まりたいとき、あるいは誰かとひとつの味を共有したいときなど、私を食べる動機は様々だと思います。少しずつ冷えてきたので、スーパーの一角や路上の片隅などで見かけることも増えたのではないでしょうか。
 私の姿を見ると〝秋〟という季節をより実感できるかと思います。かく言う私も、人々の往来を目にする時が来ると同様に感じます。なにせ私は、所謂〝秋の風物詩〟なのですから。
 スーパーに並ぶ私を、毎日のように買いにみえる方がおります。銀髪に赤い瞳の、どちらかというとクリスマスの方が似合いそうな見目の男性です。ふたつ前の秋に初めてお会いしてからすっかり私に虜のようで、毎年この時期が来るのを楽しみにしていたと仰っていました。もちろん、私に向けてではありませんが。
 ああほら、本日もお越しくださいました。いつも午後八時に来店なさるのは、きっとお仕事からの帰りだからでしょう。他の陳列には目もくれず、真っ直ぐ私の元へやってきました。慣れた手つきで備え付けの紙袋とトングを持って私を吟味する彼の眼差しは、さながら道端のディスプレイを熱心に見詰める少女のようです。きっと彼には、ほくほくと湯気を立てて並ぶ私の姿が、煌びやかなジュエリーのように映るのでしょう。
 注意深く眺めることしばらく、彼は徐にトングを動かしました。数ある私の中で最も大きい私を挟んで袋の中へ入れていきます。紙越しから冷えた彼の温度が伝わります。どうやら今日は一段と寒いようで、私は少しでも彼を温めたい気持ちを込めて、自らの体温を分け与えました。そうして少しずつ私の温度と彼の体温に隔たりがなくなってくる頃には、私が入っている袋に会計済みのシールが貼られ、スーパーを出られていました。
 彼の腕の隙間から夜風がじんわりと染みていきます。紙袋に包まれている分、感じる寒さはさほどでもないのですが、ここはやはり私を運ぶ彼が心配です。この冷気の具合では、きっと吐息が白くなっているでしょう。今夜は冬の主張が激しい日のようです。
 カサン、カサン、とリズミカルに袋が軋み、その反動で私は小さく跳ねます。マーチより少しだけ遅いテンポは、彼の上機嫌さを表しているような気がしました。きっとそれは事実でしょう。なぜなら、頻りに聞こえてくる可愛らしい旋律の正体が彼だからです。私が言うのもなんですが、彼の歌は、まるで母親の子守歌のように美しく、耳に心地いいのです。ずっと聴いていたい。スーパーから彼の自宅までの二十分間を、永遠に感じていたい。そしてあわよくば、彼が帰宅しても彼の歌声を傍で耳にする権利を得たい。そんな願いに、全身が満たされてゆくのです。
 しかしそれは叶わぬ夢というもの。食べ物である私には過ぎた欲望です。
 ですが私には、代わりに彼の胃の腑を満たす権利があります。これは食べ物ゆえに与えられた、謂わば義務でありアイデンティティーです。ですから私は彼に選んでもらうために、目一杯のベータアミラーゼを内包したのです。これが七十度前後で加熱されると、糊化したデンプンに作用して甘味成分を生成します。
 私は他の芋たちと比べても格別に甘味の強い個体でした。この私なら、彼の頬を落とすことができる。私はそう確信しています。

「ただいま」

 そうこうしている間にガチャ、という音が聞こえてきました。彼は自宅の扉を開けて、中で留守番をしている同居人の方に声をかけながら靴を脱いでいきます。袋に包まれていてその姿を見ることはできませんが、音でなんとなく解るのです。踵にフローリングがぶつかる鈍い音を立ててリビングへ向かって行きます。清潔な床の上で帰路と同じリズムで滑るように歩くこと十数秒。歩数にして十五歩程度の距離の先にある目的の場所へ、袋越しからでも伝わる喜びを湛えて入っていきました。

 ――ドンッ。

 瞬間、全ての音が消失しました。先程の音は私が落下した衝撃によるものです。感じていた彼の温もりはなくなり、代わりに無機質なフローリングの温度が伝わってきます。急速に私の体温は床に吸い取られていきました。冷えていく身体の度合いを指し示すように、リビングは『しん』と静まり返っています。彼の鼻歌など微塵も聴こえません。一体どうしてしまったのでしょう。
「ああ、おかえり。サリエリ」
 沈黙を破ったのは彼ではありませんでした。彼と比べて些かハスキーな男声には聞き覚えがあります。
「なんだ、帰ってくるなら連絡してくれてもよかったのに」
 男性の軽薄そうな声が〝サリエリ〟と呼ばれた彼に向けられますが、対する彼は無言でした。もしかしたらジェスチャーで反応したのかも知れない、とも思ったのですが、何かが動くような音が一切聞こえないので恐らく無反応でしょう。事実、男性は不満げな声音で「なに、どうしたの?」と言っています。
「そこに突っ立ってちゃ邪魔だぜ? 何かあったの?」
 そろそろと近付く足音。男性が彼の元へやってきたようです。「ねえ、サリエリ?」と何度も呼びかける様はとても気の毒に思えてきました。
 さて、彼はなぜ何も反応を示さないのでしょう。
「ねえ~ヴォルフィ? 急に飛び出したらびっくりするじゃないの」
 不意にリビングの奥から女性の声が聞こえてきました。間延びしたその声は、カップルのような甘さはなく、しかし家族のような絆も感じられません。私が言うのも烏滸がましいのですが、しかしどうしても今夜を過ごすだけの関係しか想像できないのです。
 彼と男性の間に割って入るような声が聞こえると、彼はひゅ、と勢いよく酸素を吸い込みました。それと同じタイミングで男性がようやく私の存在に気付いたようで「あれ、何か落としてるけど」と言っています。声が近くなっているので、恐らく私を拾い上げてくれようとしているのでしょう。フローリングによって冷やされた私を持ち上げ「さめてる」と零しています。
 その瞬間――

 私の身体は物凄い圧迫で凹まされたかと思えば、男性に向かって飛んでいきました。

「あだっ!」
 もちろんこれは私の意思ではありません。彼が男性の手から私を奪って投げつけたのです。
「イキナリ顔にぶつけるとか酷いだろ!」
 やけに凹凸のある場所に当たったと思ったら顔ですか。
 しかし食べ物である私を投げつけるとは、中々に酷なことをします。それだけ彼の腸が煮えくりかえっているのでしょう。その証拠に彼は踵を返す足音を立てて来た道を引き返していきました。

「それは貴様にやる。私はもう食べん」

 それ以降、彼が私の前に現れることはありませんでした。