ラウンジにて

「はぁ!? そんな地味な曲じゃラウンジに来た人全員の気分が沈むだろ!」
 それは、とあるホテルでのこと。
「何を言う! 貴様こそそんなにも激しい曲では寛げるものも寛げないではないか!」
「いいじゃんかよマスター位しかいないんだし! いい加減退屈すぎてクソでもしたい気分だ!」
 ベージュを基調とした高級感溢れるホテルのラウンジで、それは繰り広げられていた。
 三十人程が一斉に寛げる程度に広大なその中央。そこに鎮座する一台のグランドピアノに金と銀のふたりの男が、肩を並べて座っている。
 ふたりはラウンジのBGMを任されていた。初めは金の男が奏でる、跳ねるような曲に付いて行く形でサポートしていた銀の男。しかしそれがいつしか銀がリードし、また金がリードし――の、リード合戦が始まっていたのだ。
 やがてそれすらも敢え無く中断し、現在に至る。
「大体なんだよその便秘みたいな曲は! まるで世界中の便秘を寄せ集めたみたいじゃないか! なあサリエリ、ここは僕に任せて君はおとなしくサポートに回ってくれよ」
「断る。そもそもこれは私に来た依頼であって貴様には関係ないだろう! 宿泊客を疲れさせる気か!? いい加減貴様こそ代われ、アマデウス」
 止める者は誰もいない。何故ならリード合戦が始まった直後から、不穏な気配を察知した客が次々と退散してしまったからだ。金の男――アマデウスの言う通り、ここにはもう、ふたりのマスターしか残っていない。
 口論はまだ続く。これが未就学の子供ならまだ愛らしさが勝って我慢ができただろう。しかし残念ながらこの不毛なやり取りをしているのは、三十路を優に超えた大の男なのである。
 近頃の小学生ですらしないような我儘っぷりで喚くアマデウス。そしてそれに果敢に対抗する銀の男――サリエリもまた、大きな声で喚いていた。
 マスターは、客室で寛いでいる可愛い後輩に思いを馳せながら、目の前の醜い諍いを傍観している。
 しかしそれもいよいよ限界だった。
「ねえいい加減にしなよ、ふたりとも」
「……っ!」
「……ッ!?」
 鶴の一声とは、正しく今のことである。これまで周囲の迷惑など顧みず喚き散らしていたふたりだったが、主人の言葉には持ち前の聴力が働いた。ハッと息を呑んで我に返る。サリエリに至っては今になってようやくマスターの存在に気が付いたらしい。
「さっきアマデウスが言ってたじゃん」
 これにはマスターも頬を膨らませる。サリエリは小さく「すまない」と目を泳がせた。
 一呼吸置き、主はサーヴァントに向き直る。
「で? ふたりが受けた依頼っていうのは、そうやってピアノの前で痴話喧嘩することだったの?」
 金と銀の髪が同時に揺れた。ぎしぎしと音が立ちそうな程にぎこちなく互いに見つめ合い、ばつの悪そうな顔でマスターへ戻る。まるで叱られた子犬のようなしおらしさで、ふたりは視線を下げた。
「すまない……」
「あー……うん、ごめんなさい」
 謝罪のし方は様々だったが、どちらもきちんと反省していると確信したマスターは満足げに頷く。
 徐に立ち上がり、年上の従者の許へ行く。そしてそれぞれの肩に触れ、屈んで視線を合わせた。
 マスターの目許が綻ぶ。
「解ったんならいいよ。それに、せっかくふたりで音楽ができるんだ。もっと仲良く楽しんでよ」
「それもそうだね。こんな時間なんて滅多にないんだし」
「確かに……我はサリエリではないが、演奏の依頼を了承した身。ならばマスターの言う通り完遂せねばならないな……」
 アマデウスは頬を掻く。サリエリは僅かに苦い顔をして己の掌を見つめている。
 その顔は、どちらも照れくさそうで、どこか甘酸っぱい。
 カルデアのサーヴァントが運営を手伝うこの不思議なホテル。バーサーカーであれアヴェンジャーであれ、如何なる確執を持った者ですら、ここでは一時の安らかな休息を与えられている。
 それはこのふたりとて例外ではなかった。
「ふたりならきっと、素敵なラウンジにできるよ」
 ふたりの耳に、マスターの穏やかな声が染み渡った。

 程なくして、ホテルのラウンジに流麗なピアノが響き始める。
 その音楽は、空間を彩るだけでなく、聴く者全ての心を満たす、憩いの場となった。